2023年8月20日 三位一体後11主日
説教題:教会が奏でるハーモニー
聖書:フィリピの信徒への手紙2:1−4、創世記1:26−27、マタイによる福音書18:1−5、詩編122
説教者:稲葉基嗣
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【説教要旨】
教会がひとつであり、一致しているとは、どのような状態のことなのでしょうか。みんなが同じ考えや思想を抱いているということでしょうか。組織がしっかりと機能していることでしょうか。
パウロの言葉は一見、みんなが同じような考え方を持つことをパウロが望んでいるかのように思えてしまいます(2節)。けれど、2節で2度も登場する「思い」と訳されている単語は、頭で考えることや意見を述べることだけでなく、心で抱く感情や、態度や、意志を含んだ意味を持っています。そのため、同じ思想を持っている状態とは違います。むしろこの単語を用いることによって、同じことを追い求める心や、その姿勢を伝えています。考え方や心に抱く思いは違うかもしれないけれど、教会は同じ方向に向かって、天の御国へと向かって旅をしています。
「同じ愛を抱き」と書いているように、パウロにとって、教会の交わりの基盤は、キリストによって示された神の愛です。神の愛によって呼び出され、共に集い、共に天の御国を目指すその旅を通して、教会がその交わりを深めていこうとすることをパウロは願っています。
同じ考えを持つことを強いられることなく、いろいろな考えをもつ人たちが集ってくるのですから、教会の交わりの中に、すれ違いや衝突や対立が起きる可能性があることは、ある意味で自然なことです。だからこそ、そのような衝突やいさかいを乗り越えていくために必要なことをパウロはフィリピ教会の人びとに語りかけました。それはへりくだり、互いに相手を自分よりも優れた者と考えることでした(3節)。そのような交わりを持つ教会の姿はまさに、お互いが神のかたちに造られたこと(創1:27)を真剣に受け止めて、目の前にいる人の存在を心から喜んでいる姿だと思うのです。
パウロが2節で「心を合わせ」と語るとき、彼はそこで、調和するという意味の単語を使っています。教会の交わりは、まさにハーモニーを奏でていくものだと思います。それは、フィリピの町で暮らすローマの退役軍人たちが一致を考える時に思い描いたような、軍事的なヒエラルキーとは違いました。軍事的な統制は、決まりきった音だけを鳴らすことが求められます。けれど、教会の交わりが奏でるハーモニーは、もっと自由で、大胆なものです。誰もが美しく、個性的で、素敵な音を鳴らしているからです。お互いの声に耳を傾け合いながら、美しいハーモニーを奏でる交わりをこれからも築き続けていきましょう。