小山ナザレン教会

結局、アモスは何者なの?(稲葉基嗣) – アモス7:7−8:3


Listen Later

2023年6月25日  三位一体後第3主日
聖書:アモス書7:7−8:3、マタイによる福音書16:13−20、コリントの信徒への手紙 一 3:6−9、詩編8
説教題:結局、アモスは何者なの?
説教者:稲葉基嗣
-----
【説教要旨】
祭司アマツヤは、ヤロブアム2世の行いに信仰的な保証を与える存在でした。そのため、アモスの言葉を拒否する祭司アマツヤの言葉とその態度は、ヤロブアムをはじめ、北王国の人たちにとって、特に指導者たちにとって、北王国が経済的にも、政治的にも成功を収めているその背後で苦しんでいる民衆がいることを無視している現状を肯定する言葉や態度でした。
アマツヤは北王国の指導者たちを代表するような存在でしたので、彼らの声を代表してアモスを拒絶します。「君は南王国の人間だろ?自分の国に帰って、そこで活動してくれ」(12節参照)。
アマツヤの拒絶に対するアモスの回答はとても不思議なものです。
私は預言者ではなく、預言者の弟子でもない。
私は家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。(アモス7:14)
一体、アモスはなぜ預言者であることを否定したのでしょうか。アモスがしているのは自分の立場を低評価へと導く自白です。アモスにとって預言者という立場は、「わたしは預言者です」と自ら名乗る必要のあるものではなかったのでしょう。また、「あなたは預言者だ」とか、「あなたは預言者ではない」などと他の人から評価され、判断される必要のあるものでもありませんでした。アモスにとって、神が自分にこの役割を与えたということが重要でした(15節)。つまり、アモスでも、アマツヤや北王国の民衆でもなく、ただ神こそがアモスが誰であるのかを決定づけました。
アモスに対するアマツヤのように、他の人たちは、好き勝手物を言います。わたしたちの社会は、「あなたはこういう人間だ」と何度もわたしたちを評価し、わたしたちを社会の枠組みの中で定義づけようとしてきます。そんな言葉を日々聞いているわたしたちは、わたしが誰であるのかを定義づける周囲の声が大きいため、とても大切なことをしばしば忘れてしまいます。神がわたしたちをどのように見て、どのように呼んでいるのかを忘れてしまいます。
詩編8篇の詩人は、「人とは何者なのか」と驚きの声を上げています。それは、神がわたしたちひとりひとりを心に留めてくださるからです。そして、神がわたしたち人間を神に似た者として造られたからです。創世記1章27節によれば、すべての人は「神のかたち」に造られています。わたしが何者であるのかを定義し、評価してくる、この世界の声は大きすぎます。だからこそ、いつも思い起こしたいのは、誰もが一人として欠けることなく、神に造られ、尊ばれ、喜ばれる存在であることです。あなたを良い、美しい存在だと呼びかける神の声に耳を澄まし、あなたが、あなたと共に生きるすべての人たちが、神の前で何者であるのかを思い出し続けてください。
...more
View all episodesView all episodes
Download on the App Store

小山ナザレン教会By 小山ナザレン教会