
Sign up to save your podcasts
Or


2025年1月12日 公現後第1主日
説教題:驚きに満ちた旅
聖書: ルカによる福音書 2:41–52、サムエル記 上 2:18-21、詩編 126、コリントの信徒への手紙 一 13:8–13
説教者:稲葉基嗣
-----
エルサレムで、7日間かけて過越祭をお祝いしたマリアとヨセフは、お祭りの高揚感や楽しげな騒がしさ、滞在中の喜ばしかった出来事などを思い返し、余韻に浸りながら、帰路についたことでしょう。物語はここで大きなトラブルの到来を告げます。 どういうわけか、イエスさまの姿はどこにも見当たりませんでした。急いで荷物をまとめて、マリアとヨセフは来た道を戻ることにしました。彼らは親としての欠けを感じ、自分自身を責め、涙を堪えながら、来た道を必死に探し回りながら、引き返したのではないかと想像します。 過越祭を祝う、喜びに満ちたその旅は、このトラブルによって一転し、辛く、悲しい旅へと変わってしまいました。そのトラブルは思いも寄らない形で終わりを告げました。3日後に彼らはイエスさまを神殿で見つけますが、イエスさまは驚いたことに、律法の専門家たちと一緒に座っていました。安心した一方で、マリアはもう二度とこのようなことが起こらないことを願って、 「なぜ、こんなことをしてくれたのです」とイエスさまを注意します。けれども、イエスさまからは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」と、予想外の言葉が返ってきました(ルカ2:49)。「父の家」と訳されている言葉は、「父の事柄」や、「父に属する人びと」と訳し方もできるため、イエスさまは自分がいるべき場所を神殿という場所に限定して伝えているわけではないのでしょう。この時のイエスさまにとって、神殿という場所で、律法を学ぶ人たちとともに、神の言葉を学ぶことこそが、神の事柄であり、神の望む働きでした。イエスさまのこの行動が、イエスさまにとってどれほど重要であったのか、両親は知る由もありませんでしたが、マリアはこの出来事を心に留めることにより、この旅のトラブルにおいて、イエスさまが何を伝えたのかを記憶しました。それは、彼女の中でイエスさまの存在が救い主として変わるときに、徐々に意味を持ち始め、象徴的な意味を持ち始めたと思います。わたしたちも形は違えども、ヨセフやマリアと同じように、信仰の旅の途上で、トラブルに巻き込まれることがあります。マリアが心に留めていたイエスさまの言葉は、このような旅を歩むわたしたちにイエスさまが関わってくださっていることを示しているかのようです。わたしたちがトラブルを抱えるときも、思いがけない神の働きを示し、驚きを与えながら、イエスさまはわたしたちの旅に伴い続けてくださいます。
By 小山ナザレン教会2025年1月12日 公現後第1主日
説教題:驚きに満ちた旅
聖書: ルカによる福音書 2:41–52、サムエル記 上 2:18-21、詩編 126、コリントの信徒への手紙 一 13:8–13
説教者:稲葉基嗣
-----
エルサレムで、7日間かけて過越祭をお祝いしたマリアとヨセフは、お祭りの高揚感や楽しげな騒がしさ、滞在中の喜ばしかった出来事などを思い返し、余韻に浸りながら、帰路についたことでしょう。物語はここで大きなトラブルの到来を告げます。 どういうわけか、イエスさまの姿はどこにも見当たりませんでした。急いで荷物をまとめて、マリアとヨセフは来た道を戻ることにしました。彼らは親としての欠けを感じ、自分自身を責め、涙を堪えながら、来た道を必死に探し回りながら、引き返したのではないかと想像します。 過越祭を祝う、喜びに満ちたその旅は、このトラブルによって一転し、辛く、悲しい旅へと変わってしまいました。そのトラブルは思いも寄らない形で終わりを告げました。3日後に彼らはイエスさまを神殿で見つけますが、イエスさまは驚いたことに、律法の専門家たちと一緒に座っていました。安心した一方で、マリアはもう二度とこのようなことが起こらないことを願って、 「なぜ、こんなことをしてくれたのです」とイエスさまを注意します。けれども、イエスさまからは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」と、予想外の言葉が返ってきました(ルカ2:49)。「父の家」と訳されている言葉は、「父の事柄」や、「父に属する人びと」と訳し方もできるため、イエスさまは自分がいるべき場所を神殿という場所に限定して伝えているわけではないのでしょう。この時のイエスさまにとって、神殿という場所で、律法を学ぶ人たちとともに、神の言葉を学ぶことこそが、神の事柄であり、神の望む働きでした。イエスさまのこの行動が、イエスさまにとってどれほど重要であったのか、両親は知る由もありませんでしたが、マリアはこの出来事を心に留めることにより、この旅のトラブルにおいて、イエスさまが何を伝えたのかを記憶しました。それは、彼女の中でイエスさまの存在が救い主として変わるときに、徐々に意味を持ち始め、象徴的な意味を持ち始めたと思います。わたしたちも形は違えども、ヨセフやマリアと同じように、信仰の旅の途上で、トラブルに巻き込まれることがあります。マリアが心に留めていたイエスさまの言葉は、このような旅を歩むわたしたちにイエスさまが関わってくださっていることを示しているかのようです。わたしたちがトラブルを抱えるときも、思いがけない神の働きを示し、驚きを与えながら、イエスさまはわたしたちの旅に伴い続けてくださいます。