流れのほとりに

開眼へと導く主イエス(1)~記憶の力~(マルコの福音書8章14節~21節)


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序)マルコの福音書の目的~神の国が近づく~

・「イエス様がわかる」+「弟子の道を生きる」=「神の国が近づく」

1)勘違いでは済まされない状態~目がふさがれている弟子~

・パリサイ人との論争の後、舟でベツサイダ(ホームグラウンド)に戻る際、パンを受け取り損ねた弟子達に「パン種」の話がされ、論争になる。

・問題は「パン」ではなく、弟子たちの「目」が啓かれていないこと。目が啓かれていなければ、「パン種」の混入に対応できない。

・ただの勘違いなら、そう訂正すればよいが、パン 1 つに騒ぐ弟子達は、パンを増やせるイエス様が共にいることをすっかり忘れている=盲目状態。

・気づき(悟り)を促すために質問を重ねるが、弟子たちは目の前のパンの問題と奇跡をつなげて考えることができなかった。

2)私たちの目は見えているのか~「まだ」にある希望~

・「パン」とは経済資源(お金の象徴)である。これを増やすことのできるイエス様が、私たちの信じるイエス様で「変わることがない」と告白していても、現実の教会経済の話につながらないことがよくある。

・もちろん、イエス様はパンを増やすマシーンではないから、都合の良いようにイエス様を持ち出して経済的暴挙に出るのが信仰ではない。しかし、イエス様が共にいること、パンを増やせることを可能性に入れることさえしないのは、盲目状態である。

・「まだ悟らないのですか」はパリサイ人に対する「深いため息」とは違い、忍耐をもって待っておられる主の姿である。

3)思考が凝り固まる理由~「覚えていないのですか」~

・弟子たちの「忘れ物」は大したことはないはずだが、過去の苦い思い出、咎められた恥の記憶が心を飲み込んでしまう。

・「1つのパンはいつまでも1つ」というイエス様と一緒にいなかった時の学習経験(常識)が頑なさを仕上げてしまう。

・記憶が問題ならば、記憶と常識を編み直すしかない。思い出すべき奇跡のエピソードを思い起こすことが、目を啓く鍵となる。

結)「わたしを覚えて」~礼拝で御言葉を聴く理由~

・「イエス様を覚える」というのは、私たちの感情や思考を呼び覚ます、心の中の物語(記憶)を、イエス様の物語、福音の物語に浸して、造りかえ、それを今日と言う現実の中で維持することである。

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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