小山ナザレン教会

カインが忘れていたこと(稲葉基嗣) – 創世記 4:1–16


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2025年7月13日 三位一体後第4主日

説教題:カインが忘れていたこと

聖書: 創世記 4:1–16、ヨハネの手紙 一 3:11–18、詩編 124、マタイによる福音書 6:5–6

説教者:稲葉基嗣

 

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創世記において、カインが怒りを覚える原因となった出来事は、カインにとっても、アベルにとっても、中立的に記されています。カインの捧げた供え物の質が悪かったわけでも、供え物を捧げるカインの心に問題があったわけでもありません。カインとアベルが捧げた供え物が神の目に留まったことをふたりがどのように知ったのかについては、具体的には記されていません。神からの直接の語りかけではなく、供え物を捧げた後に、作物や羊の増減によって、彼らが判断をしたのかもしれません。エデンの園の物語において、大地は呪われてしまいました。ですから、羊を飼う者であったアベルに比べて、土を耕す者であるカインの方が、仕事の成果が得にくいことは、何も不思議なことではなかったと思います。けれども、カインはその事実を受け止め切れず、自分の捧げた供え物が神に受け入れてもらえなかったのだと、憤り、怒り、顔を伏せました。そんなカインを見て、神は彼に寄り添い、語りかけます、カインは沈黙します。カインは供え物について、神に訴えて、神に尋ねることさえしません。カインが心に抱いた怒りや憤りは、アベルへと向かい、アベルの命が失われました。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」(9節)という神からの問いかけに、カインは「知りません。私は弟の番人でしょうか」(9節)と答えています。ここでカインが使っている「番人」という言葉は、「守る者」という意味の単語です。創世記において、人間が造られた時、神が人間に与えた使命は、この世界を耕し、守ることでした(2章15節)が、カインは忘れてしまっていました。神によって造られた良い世界には、私たち人間自身も含まれています。ですから、私たちがお互いを大切にし、お互いを守ることも、当然、神からの使命に含まれていることです。カインは現状の不満や怒りを神にではなく、アベルにぶつけ、アベルを守るどころか、命を奪ってしまいました。カインの物語は、私たち人間が、とても身近なところから、世界や共に生きる人たちを傷つけ、命を蔑ろにしてしまう現実を突きつけます。現状の不満や怒りを神に向けず、近しい人たちに振りまいてしまうのは、何も、カインだけではありません。私たちだって、同じです。私たちも、自分たちがこの世界を耕し、守る者であることを忘れてしまうのです。だからこそ、神は私たちのもとに、イエスさまを送ってくださいました。カインが選んだ道とは、違う道を私たちは歩めると、イエスさまはいつも私たちに示し続けておられます。

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