看板の無い古着屋

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看板の無い古着屋 episodes

  • #8 1976年、赤いスウィングトップ
    #8 1976年、赤いスウィングトップ
    どうしても欲しくて買ったのに、一度も着て出かけなかった服。そんな一着、ありませんか?
    1976年、清水の中学生だった私は、『理由なき反抗』のジェームス・ディーンに憧れ、ひとりでジーンズショップへ。
    目当ての赤いスウィングトップは、XLしかありませんでした。大きいとわかっていたのに、店員さんに勧められて買ってしまい……。
    『スクリーン』『ロードショー』のポスターを貼った部屋。テレビの洋画に夢中だった少年が、服を売る店主になって、今思うこと。
    着られなかった服にも、あの頃の自分が残っています。
    あなたの「憧れて買った一着」も、よかったらコメントで教えてください。
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    #映画 #ジェームスディーン #青春 #理由なき反抗 #はじめてのジーンズショップ #中2のころ #14歳
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    19 min
  • #7 1996年、我孫子洋品店 はじめての接客
    1996年12月、千葉県我孫子市に「我孫子洋品店」を開店。アメリカで古着を買い付け、店を整え、ホームページも作った。けれど、お客さんが来ない。
    待つのはつらい。ところが、来てくれても、今度は何を話せばいいのかわからない。打ち解けておしゃべりが弾んでも、服が売れるとは限らない……。
    店を開けたその日から「店主」にはなれても、接客は手探りでした。
    そんな自分が、今では初めてのお客さんに「久しぶりですねー」と声をかけている。
    はじめての商売で戸惑った日々と、今のお客さんとの距離。古着屋のカウンターの内側から、お話しします。
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    25 min
  • #6 1996年12月、エル・パソ テキサス
    1996年12月。
    我孫子洋品店を開ける、ほんの3週間ほど前。
    初めてのアメリカ買い付けで向かったのは、テキサス州ヒューストンでした。
    ところが、現地では歓迎されすぎて、肝心の買い付けがなかなか進まない。
    そんな中、どうしても行ってみたかった街がありました。
    エル・パソ。
    理由は、古着でも軍物でもありません。
    大好きだったスティーブ・マックイーンの映画『ゲッタウェイ』です。
    その映画に出てきた街を、この目で見てみたい。
    そんな気持ちで向かったエル・パソで、小さなサープラスショップと女性店主キムさんに出会います。
    そこで見つけたのは、M-51、フライトジャケット、ヴィンテージ501、通称ミッキーマウスブーツ、空軍のスーツケースなどなど…。
    そして初めて、「自分の目で選び、自分で買い付ける」感覚を知りました。
    その約3週間後。
    エル・パソで買った服や軍物を並べて、我孫子洋品店を開店します。
    商売の計画より先にあったのは、映画と偶然と、ただ「行ってみたい」という気持ち。
    今回は、そんな古着屋の始まりの話です。
    ※補足
    収録では「空軍基地の近く」と話していますが、後から調べたところ、当時そこはすでに旧ビッグス空軍基地ではなく、ビッグス陸軍飛行場になっていました。1996年当時の僕は、その違いを知らずに「空軍基地」だと思っていたようです。
    #古着屋
    #アメリカ買い付け
    #エルパソ
    #スティーブマックイーン
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    18 min
  • #5 作らずにはいられない
    #5 作らずにはいられない
    古着屋なのに、毛糸を編む。
    破れた服を直しているうちに、さらに手を加える。
    刺し子をして、刺繍をして、ほどいて、つないで、また作る。
    一本の糸が面になり、やがて着るものになっていく編み物の面白さ。
    不規則な刺し子のステッチや、少し歪んだ刺繍、手で直した跡に感じる魅力。
    誰かの真似をしているつもりでも、
    気がつけばいつの間にか我流になっている。
    これはもう、癖というより「ヘキ」なのかもしれません。
    最近始まったように見えるこの手仕事も、振り返れば1996年に古着屋を始めた頃から、手描きTシャツ、シルクスクリーン、染色、解体、リメイクと、ずっと続いていました。
    では、なぜ最初から作っていたのか。
    演劇、印刷、CG、北海道への一人旅。
    その話は、また少しずつ。
    今回は、古着屋の店内で今日も何かを作っている理由を、今の自分から眺めてみました。
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    25 min
  • #4 看板のない古着屋
    父が営んでいた、ナショナルショップ「栗林電器」。
    2002年に父が亡くなり、翌年から家電店の内装を残したまま、月に一度ほど古着を並べ始めました。
    2004年には「我孫子洋品店」を移転。外には電器店の看板を掲げたまま、仮の店名を「栗林デンキ」として、古着屋を続けました。
    2010年、自ら店内を改装。
    そして2024年、ついに「栗林電器」の看板を撤去しました。
    新しい看板は、あえて付けませんでした。
    最初から看板のない店を目指していたわけではありません。父の電器店の看板がなくなるまでに、20年以上の時間がかかったのです。
    父の店として過ごした時間の上に、古着屋としての時間を重ねてきた建物。そう考えると、この店自体もまた、ひとつのヴィンテージなのかもしれません。
    接客、内装、外装、商品、看板、広告。
    それらすべてを含めて、店は店主の作品です。そして、その作品に完成はありません。
    今回は、「看板の無い古着屋」ができるまでの物語です。
    1975年から古着屋へと変わっていく店の写真は、Instagramトップのピン留め投稿でご覧いただけます。
    https://www.instagram.com/nediruk/
    #古着屋
    #ヴィンテージ
    #看板の無い古着屋 #我孫子洋品店
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    13 min
  • #3 1982年、吉祥寺で働いた
    1982年、二浪目。
    受験にまた失敗した僕は、求人情報誌を見て、吉祥寺駅前の牛丼屋で深夜バイトを始めました。
    夜10時から朝6時、あるいは深夜0時から朝8時。
    やる気のない店長。
    大学を中退して社員になり、学生バイトから「お父さん」と呼ばれていた人。
    やたら威張る先輩。
    今思えばティモシー・シャラメみたいだった、美少年の後輩。
    深夜には、酔っぱらったミュージシャン同士のケンカや、朝帰りらしい人たちもやって来る。
    そんな少し奇妙な夜の牛丼屋で、毎朝6時45分きっかりに現れる、七三分けのサラリーマンがいました。
    注文はいつも、
    「ライス、たまご」
    その人の姿がガラス越しに見えた瞬間、クセの強いバイト仲間たちが、なぜか見事なチームになる。
    そして仕事が終わると、僕は予備校ではなく井の頭公園へ。
    みんなの一日が始まる朝に、二浪中の自分だけは、まだどこにも所属していないような時間を歩いていました。
    1982年。
    深夜の牛丼屋から見た吉祥寺と、二十歳の頃の話。
    #吉祥寺 #1982年 #昭和の記憶 #深夜バイト#古着屋 #
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    32 min
  • #2 1981年、浪人生が歩きまわった高円寺
    1981年、19歳。
    大学受験に失敗して、高円寺南の中央ゼミナールに通っていた浪人生の頃。
    高円寺墓地の隣のモルタルアパートで暮らしながら、高円寺駅南口からパル、ライトオン、ナカイヤ、高円寺ルック、そして喫茶店「七つ森」へ。
    瓦屋根に木の引き戸。
    どこか大正や昭和初期の「カフェ」を思わせる七つ森で、今も忘れられないのが、コーヒーのお釣りでもらった赤い紐付きの5円玉です。
    今回は、前回話した田中康夫『なんとなく、クリスタル』と渋谷・ファイヤ通りについての記憶違いも訂正します。
    40年以上たっても残る街の記憶と、いつの間にか混ざってしまう記憶。
    浪人生だった19歳の目線で、1981年の高円寺をもう一度歩きます。 #高円寺 #高円寺パル #ライトオン #ナカイヤ #七つ森 #1981年高円寺に古着屋は一軒も無かった
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    21 min
  • #1 最初に買った古着は、やたら重いウールコートでした
    1981年、19歳。
    高円寺で暮らしていた浪人生が、渋谷のファイヤ通りにあった小さな店で出会ったのは、ずっしりと重いドイツ製のウールコートでした。
    それまで「古着」を特別に意識していたわけでもないのに、なぜかその一着に惹かれ、買ってしまう。
    今振り返れば、それが自分にとって最初のヴィンテージ体験だったのかもしれません。
    田中康夫『なんとなく、クリスタル』を読み、東京の街そのものに興味を持っていた時代。
    高円寺から渋谷へ出かけ、店を覗き、服を手に取る。
    その一着との出会いは、やがて古着屋を営むことになる自分の、その後を知るはずもない小さな始まりでした。
    そして40年以上が過ぎた現在、自分は古着屋をやっています。
    あの異様に重かったコートは、いったい何だったのか。
    なぜ、あの一着に惹かれたのか。
    「古着屋になる前の古着屋店主」の記憶を、1981年まで遡って話します。
    #はじめまして
    #静岡の古着屋
    #高円寺
    #渋谷ファイア通り
    #1981年
    #なんとなくクリスタル
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    11 min

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