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2025年11月23日 三位一体後第23主日
説教題:キリストをかしらとする共同体
聖書: コロサイの信徒への手紙 1:11–20、エレミヤ書 23:1–6、詩編 46、ルカによる福音書 22:31–34
説教者:稲葉奈々(日本ナザレン神学校 2年生)
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コロサイの信徒への手紙は、パウロからコロサイの信徒たちへ、彼らを励ますために書かれた手紙です。多様な文化の混ざり合う社会に置かれていたコリントの教会では、知らず知らずのうちに、教会の中に異なった思想や宗教が入り込んで、ただキリストを頭とすべきはずが、他の色々なものを同様に頭に据える生活を送ってしまいました。そうしてコロサイの人々は、自分の力では抗えない闇の中に入り込んでしまったのです。私たちも同様に、知らず知らずのうちに、キリストと同じくらい他のものを頭として、そのかしらに支配され、闇にのまれる生活を送っていることがあるのではないでしょうか。その結果犯してしまう罪の一つひとつに、一体どれほどの実感を伴って生活しているでしょうか。私たちはどうしようもないくらい自分の罪に無自覚です。闇の中をさまようしかない、そんな私たちを、神さまはなんとかして自分の元へと引き上げたいと思いました。その愛の行いを見える形にしたのが、地上に生まれたイエスさまなのです。イエスさまの生涯は、ただの一人の青年のライフログにとどまりません。ご自身の死によって私達の罪のすべてを担い、その結果私達と神が和解することを叶えてくれました。そうやって私たちは、喜びの中で生きるものになったのです。イエスさまの物語は十字架での死のさらに先まで続いています。イエスは墓に葬られた3日後によみがえり、弟子たちの前にあらわれてともに過ごしたあと、世界中に福音を述べ伝えなさいという命令を私達に下し、天にのぼられました。キリストのこの地上での生涯は、降誕から、十字架、そして復活、さらにその先の世界中への宣教まで、一本の線で繋がっているのです。時を隔ててもなお、教会の頭はイエスさまに他なりません。私たちの活動のすべては、イエスさまによらないと虚しくなってしまいます。人として生きることによって、私たちのすぐそばで笑い怒り悲しんでくださったイエスさまが教会のかしらとして私たちを力強く導き、進むべき道を明るく照らしてくれるとしたら、何と心強く、幸いなことでしょうか。来週から教会の暦ではアドベントを迎えます。この季節にこそ、私たちは十字架で死なれたイエスさまの姿を思い起こし、そのために与えられる希望を握っていきましょう。私たちは喜びにあふれてアドベントを迎えましょう。キリストの誕生を待ち望むこの季節に、キリストをかしらに据えた共同体を用いて、神様から受け取った愛をますます広げてゆきましょう。キリストの平和がみなさんと共に豊かにありますように。
By 小山ナザレン教会2025年11月23日 三位一体後第23主日
説教題:キリストをかしらとする共同体
聖書: コロサイの信徒への手紙 1:11–20、エレミヤ書 23:1–6、詩編 46、ルカによる福音書 22:31–34
説教者:稲葉奈々(日本ナザレン神学校 2年生)
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コロサイの信徒への手紙は、パウロからコロサイの信徒たちへ、彼らを励ますために書かれた手紙です。多様な文化の混ざり合う社会に置かれていたコリントの教会では、知らず知らずのうちに、教会の中に異なった思想や宗教が入り込んで、ただキリストを頭とすべきはずが、他の色々なものを同様に頭に据える生活を送ってしまいました。そうしてコロサイの人々は、自分の力では抗えない闇の中に入り込んでしまったのです。私たちも同様に、知らず知らずのうちに、キリストと同じくらい他のものを頭として、そのかしらに支配され、闇にのまれる生活を送っていることがあるのではないでしょうか。その結果犯してしまう罪の一つひとつに、一体どれほどの実感を伴って生活しているでしょうか。私たちはどうしようもないくらい自分の罪に無自覚です。闇の中をさまようしかない、そんな私たちを、神さまはなんとかして自分の元へと引き上げたいと思いました。その愛の行いを見える形にしたのが、地上に生まれたイエスさまなのです。イエスさまの生涯は、ただの一人の青年のライフログにとどまりません。ご自身の死によって私達の罪のすべてを担い、その結果私達と神が和解することを叶えてくれました。そうやって私たちは、喜びの中で生きるものになったのです。イエスさまの物語は十字架での死のさらに先まで続いています。イエスは墓に葬られた3日後によみがえり、弟子たちの前にあらわれてともに過ごしたあと、世界中に福音を述べ伝えなさいという命令を私達に下し、天にのぼられました。キリストのこの地上での生涯は、降誕から、十字架、そして復活、さらにその先の世界中への宣教まで、一本の線で繋がっているのです。時を隔ててもなお、教会の頭はイエスさまに他なりません。私たちの活動のすべては、イエスさまによらないと虚しくなってしまいます。人として生きることによって、私たちのすぐそばで笑い怒り悲しんでくださったイエスさまが教会のかしらとして私たちを力強く導き、進むべき道を明るく照らしてくれるとしたら、何と心強く、幸いなことでしょうか。来週から教会の暦ではアドベントを迎えます。この季節にこそ、私たちは十字架で死なれたイエスさまの姿を思い起こし、そのために与えられる希望を握っていきましょう。私たちは喜びにあふれてアドベントを迎えましょう。キリストの誕生を待ち望むこの季節に、キリストをかしらに据えた共同体を用いて、神様から受け取った愛をますます広げてゆきましょう。キリストの平和がみなさんと共に豊かにありますように。