幸せな人生を生きたい。最高にハッピーな毎日を過ごしたい。誰もが心の底で願っていることです。聖書で語る神さまも、人間に対して、最大の祝福を与えたいと願っています。神さまは祝福の源です。それなのに、この祝福を受け取り、幸せを実感して生きている人は多くありません。その理由の一つは、祝福は選び取るものだということを知らないからです。受け身でナマケモノ。このモードで幸せになりたいと願うのは、虫が良すぎるのです。というのは、私たちは自由を持つものとして造られ、存在しています。自由を放棄することは、人間であることから逃げることです。自由を放棄しても大丈夫なように対応することは、人間を尊重する神さまにはできることではありません。私たちには、選択の自由があります。「棚から牡丹餅」式に、ただ待っていれば幸せがやってくる式の考えで、幸せを求めても決して与えられません。神さまは祝福を差し出しています。何が人間にとって幸せなのか、どの道を進むことが人間を幸せにするのか、神さまは語り続けています。そして、祝福の道があるのなら、祝福されない道もまた存在します。(続きは音声でお聞きください)
180325_きょう、道を開くために_詩篇95篇_原牧師_宣教.mp3
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