
Sign up to save your podcasts
Or


2024年6月23日 三位一体後第4主日
説教題:嵐の中で明かされた神の思い
聖書:ヨナ書 1:1−16、ペトロの手紙 一 2:1−10、マタイによる福音書 6:11、詩編 8
説教者:稲葉基嗣
-----
海の混沌の力はまさに猛威を振るい、船に乗る人びとの命を危険に晒しました。
このような命の危険がある嵐にあうのは、誰かが神の怒りを引き起こしている
可能性があるからだと考えるのは、古代の人びとにとって自然なことでした。
自分の素性を明かす順番を決めるため、彼らはくじを引き始めました。
一番最初にくじが当たったのはヨナでしたので、人びとはヨナの素性を知るため、
「あなたの仕事は何ですか。出身はどこですか」と彼に質問をしました。
ヨナは、自分はヘブライ人だと答えています。
それは、イスラエル人とそれ以外を明確に区別する際に使われる表現でした。
ヨナ書で描かれているヨナという人物は、イスラエルの民が
神に選ばれた民であると過剰に強調する民族主義者です。
そのように考えるヨナだからこそ、彼は誇りを持ってイスラエルの神を紹介します。
「わたしは海と陸とを造られた天の神、主を畏れる者です」(9節)と。
ヨナから話を詳しく聞いてみると、案の定、彼が原因のように思えました。
そのため、この嵐から助かる方法を知るために、イスラエルの神をよく知るヨナに
彼らはこの荒れ狂う海を鎮める方法を聞きました。
自分を担いで、海に投げ込めば、荒れ狂う海は静まると、ヨナは伝えます(11節)。
本当にそれは、ヨナがすべき唯一のことだったのでしょうか?
自分のもとから逃げ続けるヨナが、神の方をまた再び向いて、
神がヨナに託したい使命をヨナが受け取ることを神は望んでいました。
ですから、ヨナが命を投げ出すことは、神の望みではなく、ヨナの望みでしょう。
古代世界でにおいてその残虐さが知れ渡っていたアッシリア帝国の都へ行って、
神のメッセージを伝えるなど、根っからの民族主義者であるヨナには、
到底受け入れられるものではありませんでした。死んだ方がマシだと感じました。
そんなヨナに対して、嵐に巻き込まれたこの船の上で神が示すのは、
ヨナにとって外国人であった他の人びとの敬虔な姿でした。
彼らは、ヨナの命を救うために、ギリギリまで努力をします。
もう自分たちが助かる道は他には残されていないと気づいたとき、
彼らはヨナが信じる、イスラエルの神ヤハウェに祈ります。
外国人たちがヤハウェの名を呼んで祈る姿は、ヨナが見たくない光景でした。
それは、イスラエルの民だけでなく、すべての人に対して
神が救いの道を開いていることを証言するような光景でした。
神はこのような光景をヨナに見せ、ヨナと徹底的に向き合うことを通して、
誰が神に愛されているのかをヨナに示しました。
世界中のすべての人びとこそが、神の愛が注がれている対象です。
By 小山ナザレン教会2024年6月23日 三位一体後第4主日
説教題:嵐の中で明かされた神の思い
聖書:ヨナ書 1:1−16、ペトロの手紙 一 2:1−10、マタイによる福音書 6:11、詩編 8
説教者:稲葉基嗣
-----
海の混沌の力はまさに猛威を振るい、船に乗る人びとの命を危険に晒しました。
このような命の危険がある嵐にあうのは、誰かが神の怒りを引き起こしている
可能性があるからだと考えるのは、古代の人びとにとって自然なことでした。
自分の素性を明かす順番を決めるため、彼らはくじを引き始めました。
一番最初にくじが当たったのはヨナでしたので、人びとはヨナの素性を知るため、
「あなたの仕事は何ですか。出身はどこですか」と彼に質問をしました。
ヨナは、自分はヘブライ人だと答えています。
それは、イスラエル人とそれ以外を明確に区別する際に使われる表現でした。
ヨナ書で描かれているヨナという人物は、イスラエルの民が
神に選ばれた民であると過剰に強調する民族主義者です。
そのように考えるヨナだからこそ、彼は誇りを持ってイスラエルの神を紹介します。
「わたしは海と陸とを造られた天の神、主を畏れる者です」(9節)と。
ヨナから話を詳しく聞いてみると、案の定、彼が原因のように思えました。
そのため、この嵐から助かる方法を知るために、イスラエルの神をよく知るヨナに
彼らはこの荒れ狂う海を鎮める方法を聞きました。
自分を担いで、海に投げ込めば、荒れ狂う海は静まると、ヨナは伝えます(11節)。
本当にそれは、ヨナがすべき唯一のことだったのでしょうか?
自分のもとから逃げ続けるヨナが、神の方をまた再び向いて、
神がヨナに託したい使命をヨナが受け取ることを神は望んでいました。
ですから、ヨナが命を投げ出すことは、神の望みではなく、ヨナの望みでしょう。
古代世界でにおいてその残虐さが知れ渡っていたアッシリア帝国の都へ行って、
神のメッセージを伝えるなど、根っからの民族主義者であるヨナには、
到底受け入れられるものではありませんでした。死んだ方がマシだと感じました。
そんなヨナに対して、嵐に巻き込まれたこの船の上で神が示すのは、
ヨナにとって外国人であった他の人びとの敬虔な姿でした。
彼らは、ヨナの命を救うために、ギリギリまで努力をします。
もう自分たちが助かる道は他には残されていないと気づいたとき、
彼らはヨナが信じる、イスラエルの神ヤハウェに祈ります。
外国人たちがヤハウェの名を呼んで祈る姿は、ヨナが見たくない光景でした。
それは、イスラエルの民だけでなく、すべての人に対して
神が救いの道を開いていることを証言するような光景でした。
神はこのような光景をヨナに見せ、ヨナと徹底的に向き合うことを通して、
誰が神に愛されているのかをヨナに示しました。
世界中のすべての人びとこそが、神の愛が注がれている対象です。