流れのほとりに

嵐を越えて向こう岸へ(マルコの福音書4章35節~41節)


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序)イエス様が与える平安とは?

・イエス様が与える平安は「穏やかな心の状態」「平穏無事」なのか?

・この物語は、イエス様が一緒なら、嵐も静まるという話ではない。


1)イエス様の声に従うと嵐に遭う

・イエス様に従っているのに、逆風・逆境に遭遇するとき、自分の信仰や判断を疑うのは間違い。⇒「すべては自分次第」という信念は高慢。

・ダニエル書 7 章 2 節の幻が背景にある。「私が夜、幻を見ていると、なんと、天の四方の風が大海をかき立てていた。」

⇒悪しき「風(ルアハ=霊:抗いがたい力)」が「大海(混乱・カオス・死の出所)」をかき立て、世界を混乱に陥れる。

・イエスの弟子として生きるとは悪に流されずに生きることを志すゆえ、風に逆らうことになる。ストームレス・シャロームはやってこない。


2)イエス様に従う覚悟はあるか?

・ベルトコンベヤー式に人生を通り過ごし「天国」へたどり着くのが人生なのか?「ベルトコンベヤーシステム社会」は大した覚悟なしに生きられる「つまらない」社会ではないか。

・「生きる」とは、そもそも「覚悟」がいること。その中で、イエス様を信じ、従う覚悟は、最も刺激的で価値あるもの。

・イエス様は「さあ、向こう岸へ渡ろう」と挑戦される方。現状に満足しないで、まだ見ぬ世界へ移動するようにと招かれる。


3)「嵐」の中で聞くべきでない声、聴くべき声

・「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」とは、現状の厳しさを神の態度を重ねて理解するように惑わす声から出てくる発言。

・「黙れ、静まれ」との声が、弟子たちではなく「風と湖」に向かう。イエス様のバランスの取れたまなざしから私たちは学ぶ必要がある。

・「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」との問いは私たちへの問い。神様に制限をかけやすい私たち。

・「黙れ、静まれ」との御言葉を握って前進するなら、向こう岸へ!


結)嵐を越えて向こう岸へ

・主イエスの弟子訓練。嵐の中でもぐっすり眠れる平安(シャローム・タフネス)を授けること。

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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