黙示録は、苦しみの時代に書かれました。黙示録が書かれた当時の教会は様々な困難の中にありました。いわゆる異端と呼ばれる偽りの教えが教会に入りこまないよう防御する必要がありました。けれども、正しさを追求すると、愛がおろそかになる、そんな落とし穴にはまってしまうことがありました。政治的迫害を受け、教会員の何人かが捕まり、殺される。そういうこともありました。その一方で守られて快適に暮らせる人たちもいました。しかし実は、危険はそちらの方が深刻でした。快適さの陰で、生ぬるさが入り、信仰が形骸化していた教会もあったのです。戦争、疫病、災害も頻発。いったいこの先どうなるのか、多くの人に恐れがあり、誠実な信仰者には、光が闇に飲まれるようで、大きな痛みがありました。ヨハネもその一人であり、彼も島流しにされ、孤独と無力さに追い詰められていたのです。そして、これは今、21世紀の私たちの有様でもある。私は今や、終わりが近いとか、そういうセンセーショナルなことが言いたいのではありません。いつでも終わりは近いのです。そして、いつもこの世は「苦しみの時代」なのです。なぜなら、ここはまだ完全な御国ではないからです。そしてだからこそ黙示録に聴き、「見よ」と言われるものを見なくてはいけない。(続きは音声でお聞きください)
210905_001.mp3
礼拝宣教ガイド(レジメ)はこちらからどうぞ。
0905_礼拝宣教ガイド.pdf