流れのほとりに

立て直しの道しるべ(マルコの福音書9章30節~37節)


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序)イエスの道を悟れない弟子たち

・「すべてを立て直す」神の計画は、人間の救いを中心とし、受難によって達成される。イエスの受難だけでなく、弟子の受難も伴う。

・主イエスの受難の予告は 3 回記されているが、もっと繰り返し教えられていた。しかし弟子たちは理解できなかった。

1)神の立て直しを拒否する「人々」

・弟子たちにとって、神の立て直しを拒否するのはローマ帝国を筆頭にした異邦人だと考えていたが、イエスより強いとは思えなかった。

・2 回目の受難予告では「人々の手に渡される」とある。この中に弟子たち自身も入ってくる。それは彼らの中に、イエスを引き渡す原因になる心→「一番偉くなりたい」があったから。これこそ世界を歪めるもの。

・「偉い」=「大きい」=「すごい」:これは評価や承認に関わること

・問題は、評価や承認ではなく「比較(結果的に「一番」を目指すこと)」

・比較評価を求める「比較地獄」が、世界を歪め、人を不幸にしている。

・比較地獄を象徴化すると△になる。頂点は「神の座」であり、ピラミッドやバベルの塔(偽りの神殿)は、この象徴を具象化している。

・弟子たちは、△でしか世界を考えられなかった。教会も同じ過ちに陥ることがあり得る。真の神殿はフラットであり、壁も階段もない。

2)イエス様の知恵ある教え

・「腰を下ろす」のは、正式な教えを行う時のラビ(教師)の所作

・「偉い」→「先頭(一番)」と言い換える。切磋琢磨すること(向上心)は悪いことではない。「先頭」という場合、上下ではなく前後になる。

・何が「前」で「後ろ」なのかという軸を主イエスはひっくり返す。「先頭」が「後になる」とはどちらを前にするかは神が決めるということ。どれだけの人に仕えたか(後ろに回れたか)が「前」を決める。

・フラットを目指すため▽を志向するのがイエス流。

3)子どもを「もてなす」ことの意味

・「受け入れる」という言葉は「もてなす」「接待する」という意味。

・△の世界では、自分の上にいる人を「受け入れる」が、主イエスはピラミッドの底辺にいる「子どもたち(見返りのない存在)」を接待するよう教える。これも▽を目指すこと。「皆に仕える」ことの初めの一歩が「子どもひとり」を受け入れることである。

・アダムから人類が始まったなら、一人の子どもは未来の人類の長。子どもをもてなすことは、未来の人類をもてなすこと=神を受け入れること

結)立て直しの道しるべ

・▽の生き方が弟子の道。その道しるべが「子どもを受け入れること」

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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