林芙美子 新版放浪記 第二部

林 芙美子 放浪記第二部 その1


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参照テキスト:青空文庫図書カード№1813
音声再生時間:24分23秒
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     第二部
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(一月×日)
私は野原へほうり出された赤いマリ
力強い風が吹けば
大空高く
鷲(わし)の如く飛びあがる
おお風よ叩け
燃えるような空気をはらんで
おお風よ早く
赤いマリの私を叩いてくれ
(一月×日)
雪空。
どんな事をしてでも島へ行ってこなくてはいけない。島へ行ってあのひとと会って来よう。
「こっちが落目になったけん、馬鹿にしとるとじゃろ。」
私が一人で島へ行く事をお母さんは賛成をしていない。
「じゃア、今度島へお母さん達が行くときには連れて行って下さい。どうしても会って話して来たいもの……」
私に「サーニン」を送ってよこして、恋を教えてくれた男じゃないか、東京へ初めて連れて行ったのもあの男、信じていていいと言ったあのひとの言葉が胸に来る。――波止場には船がついたのか、低い雲の上に、船の煙がたなびいていた。汐風(しおかぜ)が胸の中で大きくふくらむ。
「気持ちのなくなっているものに、さっちついて行く事もないがの……サイナンと思うてお母さん達と一緒に又東京へ行った方がええ。」
「でも、一度会うて話をして来んことには、誰だって行き違いと云う事はあるもの……」
「考えてみなさい、もう去年の十一月からたよりがないじゃないかの、どうせ今は正月だもの、本気に考えがあれば来るがの、あれは少し気が小さいけん仕様がない。酉(とり)年はどうもわしはすかん。」
私は男と初めて東京へ行った一年あまりの生活の事を思い出した。
晩春五月のことだった。散歩に行った雑司(ぞうし)ヶ谷(や)の墓地で、何度も何度もお腹(なか)をぶっつけては泣いた私の姿を思い出すなり。梨のつぶてのように、私一人を東京においてけぼりにすると、いいかげんな音信しかよこさない男だった。あんなひとの子供を産んじゃア困ると思った私は、何もかもが旅空でおそろしくなって、私は走って行っては墓石に腹をドシンドシンぶっつけていたのだ。男の手紙には、アメリカから帰って来た姉さん夫婦がとてもガンコに反対するのだと云っている。家を出てでも私と一緒になると云っておいて、卒業あと一年間の大学生活を私と一緒にあの雑司ヶ谷でおくったひとだのに、卒業すると自分一人でかえって行ってしまった。あんなに固く信じあっていたのに、お養父(とう)さんもお母さんも忘れてこんなに働いていたのに、私は浅い若い恋の日なんて、うたかたの泡(あわ)よりはかないものだと思った。
「二三日したら、わしも商売に行くけん、お前も一度行って会うて見るとええ。」
そろばんを入れていたお養父さんはこう言ってくれたりした。尾道(おのみち)の家は、二階が六畳二間、階下は帆布と煙草を売るとしより夫婦が住んでいる。
「随分この家も古いのね。」
「あんたが生れた頃、この家は建ったんですよ。十四五年も前にゃア、まだこの道は海だったが、埋立して海がずっと向うへ行きやんした。」
明治三十七年生れのこの煤(すす)けた浜辺の家の二階に部屋借りをして、私達親子三人の放浪者は気安さを感じている。
「汽車から見て、この尾道はとても美しかったもんのう。」
港の町は、魚も野菜もうまいし、二度目の尾道帰りをいつもよろこんでいて、母は東京の私へ手紙をよこしていた。帰ってみると、家は違っていても、何もかもなつかしい。行李(こうり)から本を出すと、昔の私の本箱にはだいぶ恋の字がならんでいる。隣室は大工さん夫婦、お上(かみ)さんはだるま上りの白粉(おしろい)の濃い女だった。今晩、町は、寒施行(かんせぎょう)なので、暗い寒い港町には提灯(ちょうちん)の火があっちこっち飛んでいた。赤飯に油揚げを、大工さんのお上さんは白粉くさい手にいっぱいこんなものを持って来てくれた。
「おばさんは、二三日うち島へ行きなさるな?」
「この十五日が工場の勘定日じゃけん、メリヤスを少し持って行こうと思ってますけに……」
「私のうちも船の方じゃあ仕事が日がつまんから、何か商売でもしたら云うて、繻子(しゅす)足袋の再製品を聞いたんじゃけど、どんなもんだろうな?」
「そりゃアよかろうがな、職工はこの頃景気がよかとじゃけん、品さえよけりゃ買うぞな、商売は面白かもん私と行ってみなさい、これに手伝わせてもええぞな。」
「そいじゃ、おばさんと一緒にお願い申しましょう。」
船大工もこのごろ工賃が安くて人が多いし、寒い浜へ出るのは引きあわない話だそうな。
夕方。
ドックに勤めている金田さんが、「自然と人生」と云う本を持って来てくれる。金田さんは私の小学校友達なり。本を読む事が好きな人だ。桃色のツルツルしたメクリがついていて、表紙によしの芽のような絵が描いてあった。
――勝てば官軍、負けては賊の名をおわされて、降り積む雪を落花と蹴散(けちら)し。暗くなるまで波止場の肥料置場でここを読む。紫のひふを着た少女の物語り、雨後の日の夜のあばたの女の物語など、何か、若い私の胸に匂いを運んでくれる。金田さんは、みみずのたわごとが面白いと云っていた。十時頃、山の学校から帰って来ると、お養父さんが、弄花(はな)をしに行ってまだ帰らないのだと母は心配していた。こんな寒い夜でもだるま船が出るのか、お養父さんを迎えに町へ出てみると、雁木(がんぎ)についたランチから白い女の顔が人魂(ひとだま)のようにチラチラしていた。いっそ私も荒海に身を投げて自殺して、あの男へ情熱を見せてやろうかしらとも思う、それともひと思いに一直線に墜落して、あの女達の群にはいってみようかと思う。
(一月×日)
島で母達と別れると、私は磯づたいに男の村の方へ行った。一円で買った菓子折を大事にかかえて因(いん)の島(しま)の樋(とい)のように細い町並を抜けると、一月の寒く冷たい青い海が漠々と果てもなく広がっていた。何となく胸の焼ける思いなり。あのひととはもう三カ月も会わないのだもの、東京での、あの苦しかった生活をあのひとはすぐ思い出してくれるだろう……。丘の上は一面の蜜柑(みかん)山、実のなったレモンの木が、何か少女時代の風景のようでとてもうれしかった。
牛二匹。腐れた藁(わら)屋根。レモンの丘。チャボが花のように群れた庭。一月の太陽は、こんなところにも、霧のような美しい光芒(こうぼう)を散らしていた。畳をあげた表の部屋には、あのひとの羽織がかけてあった。こんな長閑(のどか)な住居にいる人達が、どうして私の事を、馬の骨だの牛の骨だのなんかと言うのだろうか、沈黙(だま)って砂埃(すなぼこり)のしている縁側に腰をかけていると、あの男のお母さんなのだろう、煤けて背骨のない藁人形のようなお婆さんが、鶏を追いながら裏の方から出て来た。
「私、尾道から来たんでございますが……」
「誰をたずねておいでたんな。」
声には何かトゲトゲとした冷たさがあった。私は誰を尋ねて来たかと訊(き)かれると、少女らしく涙があふれた。尾道でのはなし、東京でのはなし、私は一年あまりのあのひととの暮しを物語って見た。
「私は何も知らんけん、そのうち又誰ぞに相談しときましょう。」
「本人に会わせてもらえないでしょうか。」
奥から、あのひとのお父さんなのか、六十近い老人が煙管(きせる)を吹き吹き出て来る。結局は、アメリカから帰った姉さん夫婦が反対の由なり。それに本人もこの頃造船所の庶務課に勤めがきまったので、あんまり幸福を乱さないでくれと言う事だった。こんな煤けたレモンの山裾に、数万円の財産をお守りして、その日その日の食うものもケンヤクしている百姓生活。あんまり人情がないと思ったのか、あのひとのお父さんは、今日は祭だから、飯でも食べて行けと云った。女は年を取ると、どうして邪ケンになるものだろう。お婆さんはツンとして腰に繩帯を巻いた姿で、牛小屋にはいって行った。真黒いコンニャクの煮〆(にしめ)と、油揚げ、里芋、雑魚の煮つけ、これだけが祭の御馳走である。縁側で涙をくくみながらよばれていると、荒れた水田の小道を、なつかしい顔が帰って来ている。
私を見ると、気の弱い男は驚いて眼をタジタジとさせていた。
「当分は、一人で働きたいと云っとるんじゃから、帰ってもおこらんで、気ながに待っておって下さい。何しろあいつの姉の云う事には、一軒の家もかまえておらん者の娘なんかもらえんと云うのだから……」
お父さんの話だ。あのひとは沈黙って首をたれていた。――どう煎(せん)じ詰めても、あんなにも勇ましいと思っていた男が沈黙っていて一言も云ってくれないのでは、私が百万べん言っても動いてくれるような親達ではない。私は初めて空漠とした思いを感じた。男と女の、あんなにも血も肉も焼きつくような約束が、こんなにたあいもなく崩れて行くものだろうかと思う。私は菓子折をそこへ置くと、蜜柑山に照りかえった黄いろい陽を浴びて村道に出た。あの男は、かつてあの口から、こんなことを云ったことがある。
「お前は、長い間、苦労ばかりして来たのでよく人をうたがうけれども、子供になった気持ちで俺を信じておいで……」
一月の青く寒く光っている海辺に出ると、私はぼんやり沖を見ていた。
「婆さんが、こんなものをもらう理由はないから、返して来いと云うんだよ。」
私に追いすがった男の姿、お話にならないオドオドした姿だった。
「もらう理由がない? そう、じゃ海へでもほかして下さい、出来なければ私がします。」
男から菓子折を引き取ると、私はせいいっぱいの力をこめてそれを海へ投げ捨てた。
「とても、あの人達のガンコさには勝てないし、家を出るにしても、田舎でこそ知人の世話で仕事があるんだが、東京なんかじゃ、大学出なんか食えないんだからね。」
私は沈黙って泣いていた。東京での一年間、私は働いてこの男に心配かけないでいた心づかいを淋しく思い出した。
「何でもいいじゃありませんか、怒って私が菓子折を海へ投げたからって、貴方に家を出て下さいなんて云うんじゃありませんもの。私はそのうち又ひとりで東京へ帰ります。」
砂浜の汚い藻(も)の上をふんで歩いていると、男も犬のように何時(いつ)までも沈黙って私について来た。
「おくってなんかくれなくったっていいんですよ。そんな目先きだけの優しさなんてよして下さい。」
町の入口で男に別れると、体中を冷たい風が吹き荒れるような気がした。会ったらあれも言おう、これも言おうと思っていた気持ちが、もろく叩きこわされている。東京で描いていたイメージイが愚にもつかなかったと思えて、私はシャンと首をあげると、灰色に蜿蜒(えんえん)と続いた山壁を見上げた。
造船所の入口には店を出したお養父さんとお母さんが、大工のお上さんと、もう店をしまいかけていた。
「オイ、この足袋は紙でこしらえたのかね、はいたと思ったらじき破れたよ。」
薬で黒く色染めしてあるので、はくとすぐピリッと破れるらしい。
「おばさん! 私はもう帰りますよ。皆おこって来そうで、おそろしいもん……」大工のお上さんは、再製品のその繻子足袋を一足七十銭に売っているんだからとても押が太かった。大工の上さんが一船先へ帰ると云うので、私も連れになって、一緒に船着場へ行く。
「さあ、船を出しますで!」
船長さんが鈴を鳴らすと、利久下駄をカラカラいわせていた大工の上さんは、桟橋と船に渡した渡し子をわたるとき、まだ半分も残っていた足袋の風呂敷包みを、コロリと海の中へ落してしまった。
「あんまり高いこと売りつけたんで、罰が当ったんだでな。」
上さんはヤレヤレと云いながら、棒の先で風呂敷包みをすくい取っていた。
皆、何もかも過ぎてしまう。船が私の通った砂浜の沖に出ると、灯のついたようなレモンの山が、暮色にかすんでしまっていた。三カ月も心だのみに空想を描いていた私だのに、海の上の潮風にさからって、いつまでも私は甲板に出ていた。
(一月×日)
「お前は考えが少しフラフラしていかん!」
お養父さんは、東京行きの信玄袋をこしらえている私の後から言った。
「でもなお父さん、こんなところへおっても仕様のない事じゃし、いずれわし達も東京へ行くんだから、早くやっても、同じことじゃがな。」
「わし達と一緒に行くのならじゃが、一人ではあぶないけんのう。」
「それに、お前は無方針で何でもやらかすから。」
御もっとも様でございます。方針なんて真面目くさくたてるだけでも信じられないじゃありませんか。方針なんてたてようもない今の私の気持ちである。大工のお上さんがバナナを買ってくれた。「汽車の中で弁当代りにたべなさいよ。」停車場の黒いさくに凭(もた)れて母は涙をふいていた。ああいいお養父さん! いいお母さん! 私はすばらしい成金になる空想をした。
「お母さん! あんたは、世間だの義理だの人情だのなんてよく云い云いしているけれども、世間だの義理だの人情だのが、どれだけ私達を助けてくれたと云うのです? 私達親子三人の世界なんてどこにもないんだからナニクソと思ってやって下さい。もうあの男ともさっぱり別れて来たんですからね。」
「親子三人が一緒に住めん云うてのう……」
「私は働いて、うんとお金持ちになりますよ、人間はおそろしく信じられないから、私は私一人でうんと身を粉にして働きますよ。」
いつまでも私の心から消えないお母さん、私は東京で何かにありついたらお母さんに電報でも打ってよろこばせてやりたいと思った。――段々陽のさしそめて来る港町をつっきって汽車は山波(さんば)の磯べづたいに走っている。私の思い出から、たんぽぽの綿毛のように色々なものが海の上に飛んで行った。海の上には別れたひとの大きな姿が虹(にじ)のように浮んでいた。
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林芙美子 新版放浪記 第二部By えぷろん