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2025年6月8日 聖霊降臨祭(ペンテコステ)
説教題:霊の絆で結ばれて
聖書: 創世記 2:15–25、ヨハネによる福音書 14:15–21、詩編 70、ガラテヤの信徒への手紙 5:16–26
説教者:稲葉基嗣
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「人が独りでいるのは良くない。」(18節)ご自分が造られたこの世界やそこで生きるすべての命あるものに対して、これまで何度も「良い」と語りかけてきた神が、はじめて、「良くない」と伝えました。人間が孤独のままでいること。それが、良くないことだと、神は実感し、この良くない状態を改善しようと働きかけます。人間の孤独を見つめた神は、「ふさわしい助け手を造ろう」(18節)と語りました。「ふさわしい」と日本語に訳されているヘブライ語は、「目の前に立って、向き合い、応答する」存在が助け手だと伝えます。そのような対等に向き合う関係を私たちは共に生きる人たちと築くことができる。それが人間存在の自然なあり方なんだと、この物語は私たちに語りかけています。また、「あばら骨」と訳されている単語は、旧約聖書の他の箇所では、ふたつの側面のうちの片側といった意味合いで用いられます。私たち一人ひとりにとって、共に生きる人たちは、私たちの片側です。共に生き、一緒に手を取り合う、私と異なる誰かがいなければ、私という存在は欠けているところばかりなのです。自分とは異なる誰かと共に生きるとき、神は私たちを「良い」と呼ぶのです。果たして、私たちの生きるこの世界は、お互いを自分にとって良い存在であると、実感できるような関係が広がっているのでしょうか。それとも、人間関係は煩わしく、お互いのことを良い存在とは実感できないから、諦めて、孤独であることを選ぶことの方が賢い選択なのでしょうか。「あなたがたをみなしごにはしておかない」(ヨハネ14:18)と語ったイエスさまは、私たちを慰め、励まし、助けを与えるために、聖霊を私たちに与え、この聖霊によって、私たちと共にいてくださると、約束してくださいました。聖霊の助けを受けながら、私たちはお互いの違いを乗り越え、お互いの助け手として、寄り添い合い、歩んで行くことができます。聖霊なる神が、私たちを結びつけてくださっているからです。それは単なる理想論ではありません。聖霊を通してのお互いの結びつきは、神の愛と憐れみに満ちた、私たちへの贈り物であり、私たちへの約束です。だからこそ、聖霊が私たちの絆となって、私たちが関わる様々な共同体や人間関係を結びつけてくださることは、私たちの心からの希望です。神ご自身が、私たちの営む社会や、共に生きる人たちとの関係を見つめて、「良い」と宣言することをいつまでも諦めていないから、聖霊なる神は、今日も、私たちのもとに訪れ、私たちと共にいてくださっています。
By 小山ナザレン教会2025年6月8日 聖霊降臨祭(ペンテコステ)
説教題:霊の絆で結ばれて
聖書: 創世記 2:15–25、ヨハネによる福音書 14:15–21、詩編 70、ガラテヤの信徒への手紙 5:16–26
説教者:稲葉基嗣
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「人が独りでいるのは良くない。」(18節)ご自分が造られたこの世界やそこで生きるすべての命あるものに対して、これまで何度も「良い」と語りかけてきた神が、はじめて、「良くない」と伝えました。人間が孤独のままでいること。それが、良くないことだと、神は実感し、この良くない状態を改善しようと働きかけます。人間の孤独を見つめた神は、「ふさわしい助け手を造ろう」(18節)と語りました。「ふさわしい」と日本語に訳されているヘブライ語は、「目の前に立って、向き合い、応答する」存在が助け手だと伝えます。そのような対等に向き合う関係を私たちは共に生きる人たちと築くことができる。それが人間存在の自然なあり方なんだと、この物語は私たちに語りかけています。また、「あばら骨」と訳されている単語は、旧約聖書の他の箇所では、ふたつの側面のうちの片側といった意味合いで用いられます。私たち一人ひとりにとって、共に生きる人たちは、私たちの片側です。共に生き、一緒に手を取り合う、私と異なる誰かがいなければ、私という存在は欠けているところばかりなのです。自分とは異なる誰かと共に生きるとき、神は私たちを「良い」と呼ぶのです。果たして、私たちの生きるこの世界は、お互いを自分にとって良い存在であると、実感できるような関係が広がっているのでしょうか。それとも、人間関係は煩わしく、お互いのことを良い存在とは実感できないから、諦めて、孤独であることを選ぶことの方が賢い選択なのでしょうか。「あなたがたをみなしごにはしておかない」(ヨハネ14:18)と語ったイエスさまは、私たちを慰め、励まし、助けを与えるために、聖霊を私たちに与え、この聖霊によって、私たちと共にいてくださると、約束してくださいました。聖霊の助けを受けながら、私たちはお互いの違いを乗り越え、お互いの助け手として、寄り添い合い、歩んで行くことができます。聖霊なる神が、私たちを結びつけてくださっているからです。それは単なる理想論ではありません。聖霊を通してのお互いの結びつきは、神の愛と憐れみに満ちた、私たちへの贈り物であり、私たちへの約束です。だからこそ、聖霊が私たちの絆となって、私たちが関わる様々な共同体や人間関係を結びつけてくださることは、私たちの心からの希望です。神ご自身が、私たちの営む社会や、共に生きる人たちとの関係を見つめて、「良い」と宣言することをいつまでも諦めていないから、聖霊なる神は、今日も、私たちのもとに訪れ、私たちと共にいてくださっています。