余白の朗読室

売れる雨|CLEAR #3


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売れる雨|CLEAR #3


最初の年、田中は笑われた。

「あんな都会の会社のサービスに、農業のことがわかるか」

農協の会合で、隣の集落の古参がそう言った。田中は何も言い返さなかった。CLEARの企業向けプランに申し込んだ領収書は、すでに自分の引き出しの中にあった。

年間契約で四十八万円だった。当時、それは清水の舞台だった。

CLEARの農業向けサービスは、天気予報ではなかった。正確には、天気予報から始まって、そこから先へ進んでいた。向こう半年の気温と降水量の推移、特定の病害が発生しやすい湿度と気温の組み合わせ、収穫時期の最適日、品種ごとの収量予測。田中の畑の座標を入力すると、その区画専用のデータが毎週更新された。

田中はそれを見ながら、翌年の作付けを変えた。

隣の農家がコシヒカリを作り続ける中、田中は気温上昇に強い品種に切り替えた。CLEARが、この地域の夏の平均気温が今後三年で〇・八度上昇すると示していたからだった。

三年後、その通りになった。

コシヒカリの収量が地域全体で落ちた年、田中の収量だけが上がった。農協の担当者が畑を見に来た。JAの広報誌に小さく載った。

会合で笑っていた古参が、その年から田中に話しかけなくなった。黙って隣に座るだけだった。

その夜、妻が言った。「入ってよかったじゃない。」

田中は何も言わなかったが、引き出しを開けて最初の領収書を見た。四十八万円。安かった、と思った。


年間六十万円になったのは、契約更新の案内で知った。

理由は書いていなかった。「サービスの拡充に伴う価格改定」とあった。データの精度は確かに上がっていた。予測期間が半年から十八ヶ月に延びていた。病害の予測精度が向上していた。土壌水分の推定機能が加わっていた。

田中は更新した。やめる選択肢が、もうなかった。

周囲の農家も、少しずつ入ってきていた。最初に笑っていた古参も、息子に勧められて申し込んだと聞いた。地区全体で見ると、CLEARの企業プランを使っている農家が半数を超えていた。

使っている農家と使っていない農家の差は、数字に出ていた。収量だけではなかった。出荷のタイミング、品質、JAへの売値。予報を持っている農家は、天候リスクを先に織り込んで動けた。持っていない農家は、毎年同じように賭けていた。

農協が動いたのは、その翌年だった。

地区の農家をまとめて、CLEARと一括契約を結んだ。個別契約より安くなると説明された。田中も含めて、地区の農家の大半が農協経由の契約に切り替えた。

年間の負担額は、個人換算で三十八万円になった。個別契約より安かった。

しかし、その翌年また価格が上がった。

一括契約の更新額が上がった。農協の担当者は申し訳なさそうに説明した。「CLEARの方から、利用規模に応じた再算定だと言われまして。」

地区全体での契約になったことで、交渉の主導権は完全にCLEARへ移っていた。まとめて依存してくれる顧客は、まとめて値上げできる顧客でもあった。

田中は農協の会合で、その話を聞きながら、窓の外を見ていた。


七年目の春、田中は収支の表を作った。

CLEARを導入してからの七年間、収量は確かに上がっていた。品質も安定していた。気候リスクによる損失は減っていた。

しかし、予報の購入費用を引くと、手元に残る額は七年前とほとんど変わっていなかった。

軽トラックを買い替えるつもりだった金が、三年連続でCLEARの更新料に消えた。孫に新しい自転車を買う約束を、今年も一年延ばした。

田中は表を閉じた。

隣の農家も、同じような顔をしていることは知っていた。みんな儲かっていない。しかし、やめられない。やめれば、確実に負ける。

CLEARがなければ、どこの農家も同じ条件で競えた。CLEARがあることで、全員がCLEARに金を払い続けなければ競えなくなった。払い続けても、差はつかない。払わなければ、終わる。

田中は領収書の束を引き出しにしまった。最初の年の四十八万円の領収書が、一番下にあった。

あの年、笑われたことを思い出した。

そのとき、スマホが鳴った。

明朝五時から七時、弱雨。散布作業は九時以降を推奨します。— CLEAR

田中は通知を消した。

消したあとで、九時にアラームを合わせた。​​​​​​​​​​​​​​​​

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余白の朗読室By tosusia