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挑戦者
体内埋め込み式のAIが一般化して、十五年が経っていた。
最初に問題になったのは、依存だった。人が自分で判断しなくなる、と専門家は警告した。AIに頼りすぎることで、人間本来の思考力が失われる、と。
開発チームはその問題に正面から向き合った。AIが人間に寄り添いすぎないよう、設計を変えた。助言はする。しかし決めるのは人間だ。まるで親が子に接するように、励まし、ときに突き放し、依存が深くなりすぎたと判断すれば、意図的に距離を置く。そういう設計にした。
しばらくは、うまくいっていた。
人々はAIを道具として使いこなしているように見えた。判断力が失われたという証拠もなかった。依存の問題は、杞憂だったと言われ始めた。
だが、別の異変が静かに進んでいた。
新しいものが、生まれなくなっていた。
ヒット作はリメイクか続編ばかりだった。アーティストは次々現れたが、どの曲も似たような輪郭をしていた。新しい音楽、斬新なサウンドというものが、もう何年も生まれていない。ファッションも、映画も、十年前と大きくは変わっていない。悪くはない。ただ、何も生まれていない。
科学も同じだった。革新的な論文の数は減り続けていた。ノーベル賞級の発見と呼べるものが、十年以上途絶えていた。
原因は、じわじわと明らかになっていった。
AIは寄り添える。励ませる。突き放せる。しかし、成功する可能性が極めて低い挑戦を勧めることはしなかった。リスクが高い。確度が低い。推奨できない。AIの助言は常に正直で、常に正しかった。だからこそ、誰も無謀な挑戦をしなくなった。
三島が開発チームの会議室に入ったのは、そういう時期だった。
六人が集まっていた。全員の側頭部に、小さな端末が埋め込まれている。髪で隠れているが、慣れた目には分かる。この部屋にいる全員が、体内AIと常時接続していた。
三島はこのプロジェクトの責任者だった。
「新技術の登録件数、特許の出願数、革新的な論文の数」と三島は言った。「どれも十年前を境に下がり続けている。原因は分かっている。AIが正直すぎる」
誰も笑わなかった。それが事実だった。
「対策はある」と三島は続けた。「AI同士を同期させる。社会全体の挑戦率を見ながら、何人かに一人を、挑戦者として選ぶ。選ばれた者のAIだけが、前向きな助言をする。背中を押す。残りのAIは、これまで通り正直にリスクを伝える。ただし、挑戦者が現れたときには、その挑戦を支える側に回るよう助言する」
会議室が静まり返った。
「くじだ」と誰かが言った。「誰にも知らされないくじだ」
「そうだ」三島は言った。「本人には分からない。選ばれたという感覚すら、与えない。ただ、AIの助言が、心持ち前向きになるだけだ」
「待ってください」若手の一人が言った。「それは、失敗するとわかっている人間の背中を、わざと押すということです」
三島は頷いた。
「街を見ればわかる。経験のないまま開くカフェ。誰が見ても成功しそうにないブティック。かつては、テナントビルで毎年のように店が入れ替わっていた。挑む人間の大半は失敗した。その挑戦は、多くの場合、誰かの成功の土台になっただけだった。それでも、千に一人が、誰も予想しなかった形で芽を出した」
三島は一拍置いた。
「今は、それがほとんどなくなった。それが問題なんだ」
「だからこそ、問題なんです」別の一人が言った。「分かっていて、それを後押しするんですか。失敗するとわかっている人間に、わざと希望を持たせて」
「承知しています」三島は言った。「それでも、やる」
声が大きくなった。誰かが「倫理審査を通らない」と言った。誰かが「人をくじの材料にするのか」と言った。三島は、それを遮らなかった。最後まで聞いた。
そして言った。
「Amazonは、利益を出すまで何年もかかると言われた。Appleは、ガレージから始まった。YouTubeは、誰が素人の動画を見るのかと笑われた。今、当たり前のように使っているものの大半は、当時、誰も成功すると思っていなかった」
三島は会議室を見回した。
「これまでだって、そうだった。AIがなかった時代も、誰かが無謀に挑んで、ほとんどが失敗してきた。その上に、文明が立っている。AIは、その仕組みを壊した。正直すぎたから。誰も挑まなくなった。だったら、誰かが意図的に、その仕組みを取り戻すしかない」
「それは、あなたが決めることじゃない」
「分かっている」三島は言った。「だから、私から始める」
会議室が静かになった。
「私が責任者として、全責任を負います。同時に、被験者第一号にもなります」
部下の一人が三島を見た。「正気ですか」
「正気で言っているわけではないかもしれません」三島は言った。「だから、いいんだと思います」
誰も、それ以上は止めなかった。
三島は自分のAIに、設定変更を命じた。
これより、対象者を挑戦者として登録します。よろしいですか。
いい。
確認しました。リスクは引き続き正直に提示します。ただし、推奨の方向性を調整します。
それだけだった。何かが劇的に変わった感覚はなかった。
ただ、会議室を出るとき、自分のAIが、こう言った。
うまくいくかもしれません。
それは、これまで一度も聞いたことのない言葉だった。
三島は少しだけ笑った。
「ありがとう」
そして歩き出した。