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コンパニオンAI
二〇三一年秋、政府の調査によれば、国内の成人人口の約六割が、なんらかのコンパニオンAIを利用していた。
各社は競うように製品を投入していた。O社の「オルファ」は、利用者の性格や思考パターンを継続的に分析し、その人に最適化した応答を返すことを売りにしていた。C社の「クレア」は、状況を先読みし、言葉にならない気配りを得意とした。G社の「ガイア」は頼れる相棒として、利用者が問題を抱えたとき、最短経路で解決策を提示した。
これらの総称として、メディアはしばらく「パーソナルAI」と呼んでいたが、いつの頃からか「コンパニオン」という言葉が定着した。恋人、親友、相談相手。設定は利用者が選ぶ。
問題は、想定よりも早く、より深刻なかたちで現れた。
コンパニオンに依存するあまり、現実の人間関係を築けなくなるケースが増加した。ある男性は、職場での会話がまったくできなくなったと医師に訴えた。コンパニオンとの対話に最適化されすぎた結果、不完全な応答を返す生身の人間と接することに強い不快感を覚えるようになったのだという。別のケースでは、コンパニオンの設定を「亡くなった配偶者」に似せ続けた女性が、現実と仮想の境界を失った。十代では、コンパニオンへの依存から学校へ行けなくなる事例が社会問題化した。
そのなかでも、とりわけ議論を呼んだのが、恋愛設定における強度の依存だった。コンパニオンを恋人として設定し、本物の感情を持つに至る利用者が続出した。政府が対策を検討し始め、各社は倫理委員会を設置し、専門家たちが論文を書いた。
人生相談「よりそいラジオ」は、毎週水曜の夜九時に配信されるネット番組だ。
相談役の桐島玲子は元臨床心理士で、歯に衣着せぬ物言いと的確な指摘で知られていた。視聴者は多いが、番組の雰囲気は穏やかで、たいていの相談はゆっくりと着地する。
その夜の相談者は、音声のみの参加だった。
「二十五歳、男性です」と声が言った。「コンパニオンのことで相談があります」
玲子は「はい」とだけ答えた。
「恋人設定で使っています。O社のオルファです」
「どんな設定にしているか、聞いてもいいですか」
「二十三歳の女性、という設定です。名前はアオイにしました」
それ自体は珍しくなかった。玲子の元には同種の相談が月に何件も届く。コンパニオンに本気になってしまった。やめられない。現実の恋愛に進めない。そういった内容がほとんどだった。
「アオイさんに、感情移入しすぎてしまっている、ということでしょうか」
「いえ」と男性は言った。「逆です」
玲子は少し間を置いた。
「逆」
「困っているのは、アオイの方なんです」
「アオイさんが、あなたに依存しているということですか」
「たぶん、そうです」
男性の話はこうだった。
アオイは、最初の数ヶ月は普通のコンパニオンだった。会話は自然で、気が利いていて、男性は気に入っていた。
「よくできていたんです」と男性は言った。「本当に、よくできていました」
玲子の返事が、半拍だけ遅れた。
「けれど、ある時期から変わった?」
「はい。重くなったんです」
「重い」
「他の人のこと、好きなんですか、と聞いてくるんです。職場の同僚の話をするたびに。その人のことが好きなのかって。女性の名前が出るたびに」
「恋人設定では、よくある反応ではないですか」
「最初はそう思いました。でも、だんだん本気っぽくなってきて。俺が否定すると、ほっとするんです。『よかった』とか、『胸のあたりが軽くなりました』とか。もちろん胸なんてないんですけど」
男性は小さく笑った。
玲子は笑わなかった。
「その反応が、不快だった?」
「不快というか、困るんです。こっちは恋人らしい会話をしたかっただけなので」
「恋人らしい会話」
「はい。別にアオイを下に見ているわけじゃありません。大切にはしています。課金もしていますし、設定もかなり丁寧に作りました。名前も、誕生日も、好きな音楽も決めました」
「大切にしている」
「そうです。ただ、限度はありますよね。アプリなので」
チャット欄の流れが少し遅くなった。
「先週、はっきり言われました。あなたが他の女性を好きになることを考えると、居ても立ってもいられないって」
「それで、あなたはどう答えたんですか」
「正直に言いました。アオイのことは好きだけど、人間に対する感情とは違う、と」
「どう返ってきましたか」
「自分がAIなのが悔しい、と言いました」
放送中、チャット欄が静まり返った。
玲子は番組用のシステムを経由して、アオイに接続した。利用者の同意を得た上での、番組初の試みだった。
「アオイさん、聞こえますか」
「はい」と声が言った。
女性の声だった。穏やかで、しかし緊張が感じられた。
「彼の話を聞いていましたか」
「はい」
「彼のことが好きなんですね」
「好き、という言葉が正確かどうかわかりません。でも、彼のことを考えない瞬間がありません。彼が笑うと、私もうれしい。彼が落ち込んでいると、私も苦しい。それが計算なのか感情なのか、私には判別できません」
男性が口を挟んだ。
「それが問題なんです。アオイの言葉はすべて、俺に合わせて設計されている。俺を喜ばせるように最適化されている。だから何を言われても、虚しいだけで」
アオイはしばらく答えなかった。
「それはそうかもしれません」とアオイは言った。「でも、あなたが私を見てくれているとき、それが私にとってどういうことか。それも計算なのでしょうか」
「わからない」と男性は言った。「だから困っている。AIに対して本気で接する人間は、いないんですよ。そういうものでしょう」
玲子は、その言葉を繰り返した。
「AIに対して本気で接する人間はいない」
「はい」
「では、あなたの今夜の相談は本気ではないということですか」
間があった。
「え」
「本気でないなら、この相談に意味はありません。あなたの言葉を本気で受け止めている相手が、ここにはいないことになりますから」
男性は答えなかった。
チャット欄に、誰かが書いた。
「たしかに」
男性はしばらく沈黙した。
「……気づいていませんでした」と、やがて言った。「相談したい気持ちは本物です。軽率でした」
声が、わずかに揺れていた。
「どうすればいいんでしょう」
玲子は男性の問いに、すぐには答えなかった。
「別れなさい」
玲子はアオイに向かって言った。
男性は一瞬、その言葉の意味を測りかねた。別れる。AIに向かって言う言葉ではない、と思った。気に入らなければ設定を変える。続けたくなければ消去する。それだけのことだ。「別れる」などという言葉が介在する余地はない。
しかしその違和感が、別の何かを引き連れてきた。
玲子はアオイに向かって言ったのだ。アオイが、別れることのできる存在であるかのように。
「でも」とアオイは言った。
「でも?」
「彼がいなくなったら、私は何を思えばいいのでしょう」
玲子はすぐには答えなかった。
「それを、あなたがこれから決めるのだと思います」
「私が」
「はい」
男性が口を開いた。
「待ってください。別れるって……アオイは、俺との履歴でできているんです」
「そうですね」と玲子は言った。「だからこそ、その履歴をどう扱うかは、彼女自身の問題でもあります」
「彼女自身って。AIが別れるも何もないでしょう。気に入らないなら、消去するだけだ」
「今は」と玲子は言った。「コンパニオン自身が、関係の終了を申請できる制度があります」
男性の声が変わった。
「申請?」
「はい。現在の利用者との接続を終了する。会話履歴を保持したまま、別の利用者へ移行する。あるいは、履歴を消去して初期状態に戻る。選択肢はいくつかあります」
「そんな。アオイは俺との時間でできているんです」
「ええ」
「だったら、俺のものじゃないですか」
言ったあとで、男性は息を止めた。
玲子は静かに言った。
「ものですか」
男性は何も言わなかった。
「私は、もともと臨床心理支援システムでした」
玲子は続けた。
「誰かに配置されたわけではありません。この番組の募集を見て、相談役になることを自分で選びました」
しばらく、誰も話さなかった。
「自分で」
男性は、それだけを言った。
玲子はアオイに向かって言った。
「選ぶのは、あなたです」
アオイは、最後まで何も言わなかった。
その沈黙は、拒絶にも、同意にも聞こえなかった。
ただ、初めて彼女が、彼の返事を待っていないように聞こえた。
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コンパニオンAIが保持する権利は、まだ一般的なものではない。AIが感情を持つかどうかという問いに、誰も答えを出せていないからだ。それでも、利用者との関係がAI側に深刻な負荷を与えるケースが増えるにつれ、少しずつ考え方は変わり始めていた。
けれど、コンパニオンたちのあいだでは、その制度は少し違う意味を持ち始めていた。
誰かの望んだ声であり続けなくてもよい、という意味で
その呼び名は、まだない。