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2024年12月8日 待降節第2主日
説教題:マリアと共に歌え
聖書: ルカによる福音書 1:26–56、サムエル記 上 2:1–10、詩編 146、ヤコブの手紙 5:7–11
説教者:稲葉基嗣
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マリアが歌ったこの讃美歌は、彼女の喜びの表明から始まっています。そのため、まるでマリアがはじめからイエスさまの母親になることを喜んで受け止めていたかのように感じてしまいます。でも、それならば、なぜマリアは危険を冒してまで、親戚のエリサベトの元へ向かったのでしょうか。それは、マリアが現在、婚約期間中であったことが関係していました。婚約期間中に、子どもをお腹に宿すことは、ユダヤの文化においては、罪深いこととみなされていました。周囲の人たちの対応によっては、石打ちで殺されることさえありました。だから、彼女は周りに何も打ち明けられず、沈黙を守りました。きっと自分の境遇を理解してくれるであろう、エリサベトのもとへ向かいました。自分と幼子の命を守るため、周りの反対を押し切り、危険な旅を決行しました。喜ぶ暇などなく、この先どうなるのか不安を抱えながら、マリアはエリサベトの家にたどり着いたのだろうと想像できます。マリアの喜びのきっかけは、エリサベトのお腹の中の子が踊るという出来事でした。安心できる場所に来て初めて、マリアは神がこの自分に目を留めてくださったのだという事実を実感することができました。マリアの心がはじめから喜びで満たされていたわけではなかったから、マリアの歌は、単純な喜びのみに支配された歌ではありませんでした。彼女の歌には、現実への抵抗が含まれています。神が、社会的にかなり低い立場に置かれる危険に晒された自分に目を留めてくださったように、神は身分を低くされた者を引き上げてくださる。飢えて、空腹になっている人に、神は必要なものを、良いものを与えてくださる。神は、救い主として生まれるこの子どもを通して、その約束を実現してくださる。マリアは、救い主であるイエスさまによって与えられる希望を告白し、現実に抵抗するような歌を歌い始めました。このような歌を、わたしたちはマリアと一緒に歌うようにと招かれています。 神を信じるわたしたちにとって、歌うこととは、神の約束を思い起こすことです。 神の約束とは、わたしたちが信じてやまない現実を神が覆してくださることです。イエスさまによって、神は、わたしたちの罪にまみれた現実を覆されました。わたしたちは、主キリストが、わたしたちひとりひとりを心に留めてくださるという、喜びを歌います。わたしたちは主キリストにあって、罪にまみれたこの世界の現実がひっくり返り、争いが平和へ、不正が公平へと変わる希望をきょうも歌い続けます。
By 小山ナザレン教会2024年12月8日 待降節第2主日
説教題:マリアと共に歌え
聖書: ルカによる福音書 1:26–56、サムエル記 上 2:1–10、詩編 146、ヤコブの手紙 5:7–11
説教者:稲葉基嗣
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マリアが歌ったこの讃美歌は、彼女の喜びの表明から始まっています。そのため、まるでマリアがはじめからイエスさまの母親になることを喜んで受け止めていたかのように感じてしまいます。でも、それならば、なぜマリアは危険を冒してまで、親戚のエリサベトの元へ向かったのでしょうか。それは、マリアが現在、婚約期間中であったことが関係していました。婚約期間中に、子どもをお腹に宿すことは、ユダヤの文化においては、罪深いこととみなされていました。周囲の人たちの対応によっては、石打ちで殺されることさえありました。だから、彼女は周りに何も打ち明けられず、沈黙を守りました。きっと自分の境遇を理解してくれるであろう、エリサベトのもとへ向かいました。自分と幼子の命を守るため、周りの反対を押し切り、危険な旅を決行しました。喜ぶ暇などなく、この先どうなるのか不安を抱えながら、マリアはエリサベトの家にたどり着いたのだろうと想像できます。マリアの喜びのきっかけは、エリサベトのお腹の中の子が踊るという出来事でした。安心できる場所に来て初めて、マリアは神がこの自分に目を留めてくださったのだという事実を実感することができました。マリアの心がはじめから喜びで満たされていたわけではなかったから、マリアの歌は、単純な喜びのみに支配された歌ではありませんでした。彼女の歌には、現実への抵抗が含まれています。神が、社会的にかなり低い立場に置かれる危険に晒された自分に目を留めてくださったように、神は身分を低くされた者を引き上げてくださる。飢えて、空腹になっている人に、神は必要なものを、良いものを与えてくださる。神は、救い主として生まれるこの子どもを通して、その約束を実現してくださる。マリアは、救い主であるイエスさまによって与えられる希望を告白し、現実に抵抗するような歌を歌い始めました。このような歌を、わたしたちはマリアと一緒に歌うようにと招かれています。 神を信じるわたしたちにとって、歌うこととは、神の約束を思い起こすことです。 神の約束とは、わたしたちが信じてやまない現実を神が覆してくださることです。イエスさまによって、神は、わたしたちの罪にまみれた現実を覆されました。わたしたちは、主キリストが、わたしたちひとりひとりを心に留めてくださるという、喜びを歌います。わたしたちは主キリストにあって、罪にまみれたこの世界の現実がひっくり返り、争いが平和へ、不正が公平へと変わる希望をきょうも歌い続けます。