小山ナザレン教会

目が開かれて、旅立つ(稲葉基嗣) – ルカ 24:13–24:35


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2024年4月7日 復活節第2主日

説教題:目が開かれて、旅立つ

聖書:ルカによる福音書 24:13−35、創世記 3:1−9、コリントの信徒への手紙 一 15:50−58、詩編 146

説教者:稲葉基嗣


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自分たちの希望であるイエスさまを失ったふたりの弟子たちは、

イエスさまと一緒に過ごしたエルサレムに背を向けて、エマオへと旅立ちました。


旅の途中で語り合っていると、イエスさまが近づいてきて、一緒に歩き始めました。


そして、このふたりの旅に加わり、彼らの対話に加わりました。


けれども、彼らはイエスさまであるとは気づかず、会話を続けました。


イエスさまは自ら名乗り出ることはしませんでした。


失望し、困惑する彼らと言葉を交わし、聖書に記されていることを説明しながら、

目的地を目指して一緒に歩むことをイエスさまは選ばれました。


失望し、困惑する彼らと同じ方向を向いて、一緒に歩み、言葉を交わしながら、

神の約束を彼らと一緒に思い起こし、彼らにゆっくりと語りかけながら、

イエスさまは彼らの落ち込み、沈みきった心に、再び火をともそうとされたのです。


一緒に話していたこの人はイエスさまであるとこの弟子たちが気づいたのは、

目的地のエマオに到着し、家で食事をしている時のことでした。


パンが割かれ、そのパンが手渡されたとき、彼らの目が開かれました。


イエスさまだと気づいたときには、イエスさまはもういなくなっていました。


けれども、イエスさまと出会った彼らは、イエスさまの復活を信じ、喜びました。


もう居ても立ってもいられなくなり、この出来事を仲間たちに伝えるために、

彼らは来た道を急いで戻り、エルサレムへと帰って行きました。


失望と落胆で始まった彼らの旅は、復活したイエスさまとの出会いを通して、

喜びと希望に溢れるものへと変えられていました。


この出来事はまるで、善悪の知識の実を食べて目が開かれたことによって、

神から離れ、神と共に生きる喜びに背を向けることになった、

アダム(人類)とエバ(命)の姿を描く、エデン(喜び)の園の物語の逆転のようです。


それは、イエスさまが一緒に歩んでくださっていることに気付かされ、

失ったいのちが取り戻され、沈みきった心に喜びが溢れてくる経験でした。


また目が開かれることによって、自分の力のみに頼り切って歩むのではなく、

仲間たちと喜びを分かち合い、語り合う、旅が始まりました。


主キリストによって、この旅に招かれているわたしたちの前にも、

いのちと喜びに溢れる道が開かれています。


きょうも神は、わたしたちの目を開こうとしておられます。


それは、神がわたしたちに語りかけ、将来、わたしたちが復活のいのちを得、

天の御国で生きる約束を思い起こさせることを通してです。


そして、わたしたちは、割かれたパンを手渡されるたびに、

天の御国へと向かって歩んでいることに、目を開かれていくのです。

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