終章では、本書全体の議論を総括する。メキシコでは、侵略と植民地支配、シミュレーション政治、格差と制度不信の歴史の中で、嘘と沈黙が不誠実ではなく合理的な生存戦略として文化的に正当化されてきたと整理する。一方、日本の信頼社会も監視社会化と制度疲労により、嘘と沈黙の増殖を経験しつつある。日系企業にとって重要なのは、メキシコの嘘と沈黙を倫理的欠陥ではなく合理性として理解し、確認・承認・保証を組み込んだ経営を設計することだと強調する。嘘を社会構造の反映として読み解く「嘘の社会学」は、未来を構想するための社会学でもある。最後に、続編『死の社会学』で生命の閾値の問題を探究することを予告しつつ、嘘を理解することが他者と自己を理解する営みであると結んでいる。