ナルワンアワー(金曜日)

ナルワンアワー(金曜日) - 2025-03-07-【元「鹿港町長宿舍」を通じた過去と今を繋ぐ物語】


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今日は、日本統治時代の台湾で活躍されたある日本人とその人物にまつわる建物のお話をします。その人物とは、1932年に台湾中部・彰化県の北西部、「鹿港(ろっこう)」という町の2代目町長に就任した吉田秀治郎さんです。この方は1936年までの4年間、鹿港町長を務められました。

この吉田元町長は、「鹿港町長宿舍」に最初に入居した方としても知られています。「鹿港町長宿舍」は1935年に完成し、日本敗戦までの10年間、鹿港の町長が代々暮らしていた宿舍です。

では今回、なぜ吉田元町長を取り上げたのかというと、先月末にひ孫にあたる女性とそのご主人が現在は文化施設として再利用されているこの元宿舎を訪れ、現在の鹿港町長にあたる・許志宏氏と交流したからです!およそ90年を経て巡り合うこととなったこの三人に対し運命を感じますね。

・町長は交流後すぐに自身のFacebook上で、三人が、吉田元町長が実際に住まれていた宿舎内で交流する様子や、宿舎前で揃って撮った写真を「台日友好」という言葉と共に投稿しました。投稿には、今回訪れた夫妻が日本で大切に保存していた、吉田元町長の幼い頃の姿、また、当時の宿舎や鹿港などを捉えた貴重な写真も投稿され、そこからも当時の様子を感じることができます。

夫妻は、日本から持参した当時の鹿港を写した写真と現在の街並みを比較。一部は変わらない風景であることに気づき感動し涙を流した場面も見られ、自身のルーツを探るかけがえのない時間となりました。

二人は今回初めて鹿港を訪れたといい、女性は「曽祖父の面影が残る宿舎を間近で見ることができとても感動した。次回もまた訪れたい」と話しました。

また、女性はこんなことも明かしました。それは、自身の祖母、つまり吉田元町長の娘がかつて「鹿港」の公立の女子学校へ通っており、そのクラスメイトには、実業家・政治家で、日本による統治に積極的に関与した台湾の代表的人物、辜 顕栄(こ けんえい)の娘がいたそうです。

女性はさらに、「今回父親も一緒に来る予定だったが、高齢のため来ることを断念した」と明かしたものの、今回のルーツ探しの旅で、元鹿港町長宿舍の前で現在の町長と記念写真を撮ることもでき、父親の夢の一つを代わりに叶えることができた」と喜びを語りました。

ちなみに今回の舞台となった元鹿港町長宿舍は当時の鹿港町役場の隣に建てられた和式の木造建築物です。ジメジメと熱い台湾でも風通しをよくし、虫除け対策のために、土台が高く上げられています。日本が敗戦後は一時放置され、その後は鹿港の役場の倉庫として使われていたこともあります。

今回夫妻が訪れた建物は、1999年に台湾中部を襲った921大地震により一部が損壊。しかし2002年には歴史的建築物として指定され、2003年から約一年間行われた修復工事により改装されました。さらに、2009年3月からは「鹿港文史館」として再利用され、現在は訪れた人々に見学、学習、休憩の場を提供しているほか、関連の展示会も随時開催する、鹿港の歴史を知る上で重要な場所となっています。

また、台湾が清王朝に統治されていた時代、第二の港町として発展した鹿港には中国福建省を起源とする建築様式「閩南(びんなん)式」の建物も見られるため、今回のような日本様式の建物が残っているのは貴重だということです。

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ナルワンアワー(金曜日)By 豊田 楓蓮, Rti