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皆さんは、オウム真理教によるサリン事件の解決に大きく関わったある台湾出身の化学者がおられたこと、ご存じでしょうか?
その方のお名前は杜 祖健(と そけん)さん、英語名はアンソニー・トゥーさんです。戦後、毒物(や生物、化学兵器)研究の第一人者として主にアメリカで活躍された杜さんは1930年、現在の北部・台北市出身。日本語教育を受けた関係で日本語がとても堪能でした。国立台湾大学の理学部で化学を学んだ後、アメリカに渡り、幾つかの大学でヘビ毒を専門に研究。その後コロラド州立大学で毒性学、つまり医薬品や化学物質によって引き起こされる、生体にとって好ましくない有害反応(毒性)を明らかにする学問において名誉教授を務めました。アメリカでの暮らしの中で、毒に注目した米軍の相談役を務めたことも。
実は、父親は、台湾の医学界でとても有名な方としても知られています。その方は台湾人初の医学博士で薬理学を専門に研究した杜 聡明さん。聡明さんは生涯をかけて台湾医学の形成、発展に尽力しました。
祖健さんはそんな父親の背中を追い、毒物研究の世界的権威となったのです。
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ではそんな杜さんとサリン事件との関係についてご紹介致しましょう。
1994年6月に長野県松本市内の住宅街に猛毒のサリンが撒かれ死傷者が出た松本サリン事件が発生。それからすぐに日本の化学誌『現代化学』の依頼でサリン関連の記事を執筆すると、それを見た警察当局から「使われた毒物の原因物質を突き止めるため事件の捜査に協力してほしい」との連絡を受けます。当時の日本には神経ガスであるサリンの捜査資料が無く、また、被害に遭った人に適切な治療を施すため、原因物質を特定する必要があったのです。杜さんは知人を通じてサリンの検出法に関するアメリカの科学文献を手に入れ警察に送るなどさまざまな協力を行います。警察は杜さんが資料を提供した年、オウムの本拠地、山梨県旧上九一色村にあった教団施設付近の土を、記載されていた方法を元に調べた結果、サリンの原因物質を検出する事に成功しました。つまり杜さんは教団とサリンを結びつける化学的な証拠をつかむきっかけをもたらした方なのです。さらに、1998年に起きた地下鉄サリン事件でも警察に協力し、事件解明に寄与しました。
自身の貢献に関し、杜さんは以前、「日本の捜査に協力できたことは誇りだ」と語っていました。
この経歴が讃えられ、2009年に国や公共に対する功績を称える勲章「旭日章」のうちの一つ「旭日中綬章」を「我が国における危機管理学の発展に寄与」の功労で受賞。また、「自分の知識を日本の学生にも伝えたい」と話していたこともあり、日本初の「危機管理学部」を目玉に2004年に開校し、危機管理と薬学の2つの学部を有する私立千葉科学大学の客員教授に就任、集中講義を行いました。また、私立順天堂大学の客員教授も務めるなど、日本の学生達への教育にも尽力されてきました。
最近では、2020年、90歳の時に来日し、当時未知のウイルスであった新型コロナの発生源に関して自身の見解を発表するなど、精力的に活動されてきました。
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そんな杜 祖健さんは、昨年11月1日、静養先のハワイ・ホノルルにて94歳で亡くなられました。
ご生前のご功労に敬意を表しますとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
皆さんは、オウム真理教によるサリン事件の解決に大きく関わったある台湾出身の化学者がおられたこと、ご存じでしょうか?
その方のお名前は杜 祖健(と そけん)さん、英語名はアンソニー・トゥーさんです。戦後、毒物(や生物、化学兵器)研究の第一人者として主にアメリカで活躍された杜さんは1930年、現在の北部・台北市出身。日本語教育を受けた関係で日本語がとても堪能でした。国立台湾大学の理学部で化学を学んだ後、アメリカに渡り、幾つかの大学でヘビ毒を専門に研究。その後コロラド州立大学で毒性学、つまり医薬品や化学物質によって引き起こされる、生体にとって好ましくない有害反応(毒性)を明らかにする学問において名誉教授を務めました。アメリカでの暮らしの中で、毒に注目した米軍の相談役を務めたことも。
実は、父親は、台湾の医学界でとても有名な方としても知られています。その方は台湾人初の医学博士で薬理学を専門に研究した杜 聡明さん。聡明さんは生涯をかけて台湾医学の形成、発展に尽力しました。
祖健さんはそんな父親の背中を追い、毒物研究の世界的権威となったのです。
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ではそんな杜さんとサリン事件との関係についてご紹介致しましょう。
1994年6月に長野県松本市内の住宅街に猛毒のサリンが撒かれ死傷者が出た松本サリン事件が発生。それからすぐに日本の化学誌『現代化学』の依頼でサリン関連の記事を執筆すると、それを見た警察当局から「使われた毒物の原因物質を突き止めるため事件の捜査に協力してほしい」との連絡を受けます。当時の日本には神経ガスであるサリンの捜査資料が無く、また、被害に遭った人に適切な治療を施すため、原因物質を特定する必要があったのです。杜さんは知人を通じてサリンの検出法に関するアメリカの科学文献を手に入れ警察に送るなどさまざまな協力を行います。警察は杜さんが資料を提供した年、オウムの本拠地、山梨県旧上九一色村にあった教団施設付近の土を、記載されていた方法を元に調べた結果、サリンの原因物質を検出する事に成功しました。つまり杜さんは教団とサリンを結びつける化学的な証拠をつかむきっかけをもたらした方なのです。さらに、1998年に起きた地下鉄サリン事件でも警察に協力し、事件解明に寄与しました。
自身の貢献に関し、杜さんは以前、「日本の捜査に協力できたことは誇りだ」と語っていました。
この経歴が讃えられ、2009年に国や公共に対する功績を称える勲章「旭日章」のうちの一つ「旭日中綬章」を「我が国における危機管理学の発展に寄与」の功労で受賞。また、「自分の知識を日本の学生にも伝えたい」と話していたこともあり、日本初の「危機管理学部」を目玉に2004年に開校し、危機管理と薬学の2つの学部を有する私立千葉科学大学の客員教授に就任、集中講義を行いました。また、私立順天堂大学の客員教授も務めるなど、日本の学生達への教育にも尽力されてきました。
最近では、2020年、90歳の時に来日し、当時未知のウイルスであった新型コロナの発生源に関して自身の見解を発表するなど、精力的に活動されてきました。
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そんな杜 祖健さんは、昨年11月1日、静養先のハワイ・ホノルルにて94歳で亡くなられました。
ご生前のご功労に敬意を表しますとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。