流れのほとりに

泥沼で粘る祈り~信仰者のために~(詩篇69篇1節~18節)


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序)「泥沼に沈む」こともある人生

・「神様を信じ、神様を愛し、神様に従って生きるなら、ピンチはなくなり、平穏無事な人生が送れます」「あなたの人生に、こんな災い、ピンチが起こるのは、あなたが信じている神が間違っているか、あなたが神様に愛されていないかです」というのは偽りである。

・まことの神を信じて生きる幸いとは、どんなピンチにも目的(意味)を見出すことができることにある。

1)「ピンチが来たら祈ろう」

・たましいの筋肉を鍛えるために、ピンチは用いられる。

・ピンチ→祈り→脱出(成長)が基本サイクル。ただ、大人になると祈り→脱出までが長くなる。助けが来るのと、体力(忍耐力)が限界を超えるのかが、ギリギリの勝負になるのが「泥沼」である。

・「奔流」とは「鉄砲水」を意味する。普段、流れのない水無川に突然、水があふれるように、人生のピンチは突然やってくることが多い。

・ピンチには人間関係の破綻が関連することが多い。

2)ピンチ=「アクシデント」×「恥」で訪れる

・物心がついた私たちは、恥をかくことを恐れ、恥ずかしい思いをするくらいなら、死んだほうがましという気持ちに支配されやすい。

・誰もが内側に「かっこ悪い自分」を抱え、それをどうにか「かっこつけて」生きている。ピンチは、この外側のカバーを取り去ってしまう。

・そういう状況では、助けを求められるのは「かっこわるい自分」を知っている人に限られる。まことの神様を知らなければ、誰にも頼れない。

・私たちがどんなに上手に隠しても意味のないほど、神様は私たちを知っている。その上で、いのちがけで愛して下さるのがまことの神である。

・でも、助けが来ない状況が長引くと、信仰さえ恥になる。

3)粘り勝ちこそ信仰人生

・「神様のみこころの時に」と委ねつつ「早く」と本音も隠さず(冷めた物わかりの「いい子」にならず)祈るのが真実の祈り。

・神様は、必ず答えて下さり、ピンチを賛美に、感謝に変えて下さる。

・神を信じて生きるというのは、必ず勝つ人生を生きること。

結)あきらめたら、信仰も終了する(救いを失うわけではないです)

・しかし、何度でも立ち上がれる!

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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