小山ナザレン教会

お互いを模範として歩む(稲葉基嗣) – フィリピ3:17−4:1


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2023年 10月 8日 三位一体第18主日
説教題:お互いを模範として歩む
聖書:フィリピの信徒への手紙 3:17−4:1、イザヤ書 26:16−19、マルコによる福音書 1:14−15、詩編 8
説教者:稲葉基嗣
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【説教要旨】
学生や弟子たちがその先生や師匠の真似をすることはとても重要なことです。真似をすることを通して、学生や弟子たちは、先人の知恵や技術、またその背後にあるものの考え方などを受け継ぎ、身に着けていきます。キリストを信じて生きることにも、それと似た側面があります。どのように祈り、聖書を読み、どのように信仰者として物事を見つめ、どのように身の回りや世界中で起こる出来事について考え、そして、信仰を抱いてどのように生きるのかついて、わたしたちは礼拝や教会での交わり、先に信仰を持った人びとを通して学びます。
誰もがパウロのようになる必要はないはずなのに、なぜパウロは「私に倣う者となりなさい」(17節)と書いたのでしょうか。それは、パウロのうぬぼれた態度や考えから出たものではありませんでした。寧ろ、フィリピ教会の人たちを心から気遣った言葉でした。フィリピの社会の中でマイノリティであったフィリピ教会の人びとにとって、何の頼りも指針もなく、フィリピでキリストを信じて生きることは無理な話でした。一体、フィリピでどう生きればよいのか。色々な教えや考えに晒され、右往左往しながら、フィリピ教会の人たちはキリストを信じる生活を送っていました。だからこそ、パウロはそんな彼らに見える指針として、自分自身を提示しました。
もちろん、パウロは自分のみを模範として示すことの限界や、その歪さをよくわかっていたのだと思います。「私たちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい」(17節)と書き、近い将来、同じフィリピの町で同じ信仰を抱いて生活をする予定である、自分の同労者テモテとフィリピ教会へ送り帰す予定のエパフロディトをフィリピ教会の人々への模範として示しています。
模範であるのは、テモテやエパフロディトだけでもありません。キリストを信じる信仰者たちが、お互いに学び合うようにとパウロは促しています。わたしたち一人ひとりは良いものも、素敵なところもあれば、反対に、弱い部分も欠けている部分も持ち合わせています。でも、お互いを模範として、学び合うことができます。
ところで、わたしたちは具体的に何を学ぶべきなのでしょうか。パウロによれば、それは、わたしたちの国籍が天にある、ということです。ローマの市民権を持った人びとがフィリピでローマ的に生きたいと願ったように、いや、それ以上に、天の国が告げる喜びや平和や正義が、わたしたちの人生や、わたしたちの生きるこの世界を包み込んでほしいとわたしたちは願っています。だからこそ、悩み、葛藤する旅において、天の国を目指す者の姿を学び合い、お互いに模範として見つめ合う、信仰の友がわたしたちには必要です。
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