2024年3月24日 四旬節第5主日
説教題:平和を求めて歩む旅路
聖書:ルカによる福音書 19:28−44、ゼカリヤ書 9:9−10、コリントの信徒への手紙 二 5:16−21、詩編 116
説教者:稲葉基嗣
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イエスさまが生まれたその夜、エルサレムの町の外にいる羊飼いたちの前に
天使たちが現れて、神を賛美しました。
「いと高き所には栄光、神にあれ
地には平和 御心に適う人にあれ。」(ルカ2:14)
イエスさまの弟子たちがろばに乗ったイエスさまと一緒に
エルサレムへと向かうその旅路で、弟子たちは神を喜んで賛美しました。
「主の名によって来られる王に 祝福があるように。
天には平和 いと高き所には栄光があるように。」(ルカ19:38)
天使たちが歌った讃美歌と、弟子たちが歌った讃美歌が響き合う時、
このふたつのグループが歌った讃美歌に大きな違いがあることに気付かされます。
天使たちは地には平和と歌い、弟子たちは天には平和と歌いました。
弟子たちにとってこの賛美は、旅の目的地に到着する喜びを表現する手段でした。
けれど、イエスさまはエルサレムの都を見て、涙し、嘆きました。
その涙のわけは、人びとが平和に向かって歩まない現状があったからです。
もちろん、エルサレムに平和が全くなかったわけではありません。
この町は、ローマの圧倒的な武力に守られて、秩序が保たれています。
けれど、それは強者の望むかたちであり、背後で苦しんでいる人が数多くいました。
何よりも、それはイエスさまが願った平和ではありませんでした。
暴力を伴わず、神から愛され、憐れみを受けているように、人を愛し、憐れみ、
そしてお互いに支え合うことによって築かれていく平和をイエスさまは望みました。
そのような平和を築いていく道を人びとが歩むのではなく、
弱い人たちや、自分の仲間でない人たちを顧みず、
力や支配によって、自分たちだけの平和を築こうとしてしまう。
そんな人びとの姿に、イエスさまは涙しました。
そんなイエスさまの姿を見つめるとき、エルサレムが見えたときに喜び、
歌い出した、弟子たちのあの讃美歌が、とても象徴的なものに聞こえてきます。
彼らは天に平和と歌いましたが、地には平和とは歌いませんでした。
それはまるで、地の上に平和がないことを象徴しているかのようです。
この地上に平和を見いだせず、わたしたちの日常が喜びの賛美よりも、
嘆きと涙で溢れていることをイエスさまは知り、涙を流しておられます。
そればかりでなく、平和の主であるイエスさまはこの地上に平和を築くために、
力のない、無抵抗な子ろばに乗って平和を失った都を訪れました。
平和の主であるイエス・キリストによって、わたしたちのもとに平和が訪れます。
この事実は、弟子たちの讃美を平和の主の訪れを待ち望む歌へと変え、
わたしたちも平和を求めるこの歌に加わるようにと招きます。