4日、東京みやこ・東京ドームにて新日本プロレス『サンセイアールアンドディ presents れっする KINGDOM 20 in 東京ドーム 棚橋弘至引退』が開催。メインイベントでは棚橋弘至引退試合として棚橋弘至vsオカダ・カズチカが行われた。 棚橋は立命館大学在籍時に学生プロレスを始め、卒業後の1999年に新日本プロレスに入団。同年10月10日にデビューし、後にIWGPヘビー級王座最多戴冠記録を樹立するエースへと成長。2023年12月には新日本プロレスの代表取締役社長に就任。背広組としての仕事も増え、現年齢も49歳とベテランの域に入りリングの最前線から遠ざかりつつあった。 そんな中、棚橋は2024年10月に両国国技館で行ったデビュー25周年試合の後に2026年1月4日の東京ドーム大会での引退を表明。以降の約1年あまりは棚橋のキャリアを振り返るかのようなメモリアルな一戦や、これからの新日本を背負っていく若手選手たちとのシングルマッチなど『ファイナルロード〜継(つなぐ)』『棚橋弘至ファイナルロード~縁(えにし)』と題した試合を全国の会場で見せる引退ロードを展開してきた。 棚橋がプロレスラーとしてのキャリアを歩み始めたのは、空前の格闘技ブームによってプロレスが最も世間から馬鹿にされていた時代。後楽園ホールはガラガラであり、残った観客層は昭和プロレス原理主義的なファンが多数。棚橋のきらびやかなスタイルにも冷ややかな目を向けられ、肉体的なピークの期間のほとんどを冬の時代の中で過ごした。時が流れ、再びプロレスが注目される時代になった頃には棚橋のキャリアも晩年の域に入りつつあった。 棚橋も長年の酷使で身体の故障やその深刻度も増すばかりであり、新日本プロレスにも新たなスターが次々と誕生していった。しかし、冬の時代から今日に至るまで太陽のごとくプロレス界を照らしてきた棚橋をファンは今でも口を揃えて“エース”と呼ぶ。 そんな棚橋の対戦相手は、現AEW所属のオカダ・カズチカ。 2012年2月、凱旋帰国を果たしたオカダが棚橋からIWGPヘビー級王座を奪取したことは“レインメーカーショック”と呼ばれ、プロレスの時代が変わった瞬間、そして世代交代を象徴する言葉として今でも残っている。