流れのほとりに

奇跡のパンの目的(マルコの福音書6章30節~44節)


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序)福音書の読み方

・「5000 人の給食」「5 つのパンと 2 匹の魚」は有名であるゆえに、先入観や他の福音書の情報が邪魔をしてマルコ独自の視点を見失いやすい。


1)「5000 人の男たち」にある背景

・この 5000 人の給食には大人の男性だけが参加している。

→33 節「徒歩で駆けつけた」スピード感と現実性を例証する。しかし、それは異様な光景に見える。群衆は集合場所を知っていたようである。

→ガリラヤの荒野は、歴史の中で戦争に備える集合場所となっていた。

・「それと気づき」とは「ピンときた」というニュアンス。バプテスマのヨハネの処刑、弟子たちの派遣を経て、いよいよ戦いの時が来た!と感じ取った。これは完全な誤解→「羊飼いのいない羊」の有様。


2)疲れた弟子たちへのチャレンジ

・日暮れが近づき、弟子たちは解散を繰り返し提言する。「自分たちで食べる物を買うことができる」というのは尤もらしいが、食事の心配は優先事項ではなく、弟子たちの本音を隠す言動。

・「あなたたちが、あの人たちに…」とは弟子の本音が見透かされたようなチャレンジ。「200 デナリ」≒1 年分の給料


3)「青草の上に座らせるように」に示されるイエス様の意図

・手がかり①「座らせる」(39 節)=「寝そべらせる」ことで、宴会のお客として食事の場に来た人が取る行動である。⇔40節の「座った」は別のことばで、単に座ることから寝そべることまで含む広い意味。(言葉にズレがある。)イエス様の意図は「今から宴会を始める!」こと。

・手がかり②「青草の上に」=詩篇 23 篇「主は私を緑の牧場に伏させ」に通じる表現。詩篇 23 篇は、羊飼いによる宴会の歌。

→当時のユダヤ人はメシアによる戦争によって独立を勝ち取ることと、その後に勝利を祝う大宴会をすることを期待していた。しかし、イエス様は「敵をよそに」聖なる宴を始める。戦わずに満たされ、愛される。


結)愛されている者として生きよ!

・満腹してもまたお腹が空くが、愛された記憶は未来を歩く力になる。

・あふれるパンの出所を知っていたのは弟子たち。もてなす側に回れた弟子たちの心も満たされていった。

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流れのほとりにBy キリスト教たんぽぽ教会


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