高千穂さんのご縁です。

【親鸞聖人の誕生日・降誕会】のお話。 親鸞聖人は結婚もし魚も食べ90歳まで生きた。


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🔶 今日は親鸞聖人のお誕生日

高千穂さん:「本日5月21日は、親鸞聖人のお誕生日“降誕会(ごうたんえ)”です。旧暦でいうと4月1日、この日に親鸞聖人がお生まれになりました」


親鸞聖人は1173年、平安時代の末期に京都でお生まれになりました。

当時の日本は源平の争い、天災や疫病、大火や飢饉などが相次ぐ混乱の時代でした。


🔶 9歳で出家、比叡山での修行の日々

親鸞聖人は9歳で天台宗の僧・慈円(じえん)のもとで出家され、比叡山延暦寺に入山。

その後20年にわたり、厳しい修行と学問に励まれます。

高千穂さん:「比叡山は寒く、自然環境も厳しい場所です。そんな中で“今生きているまま仏となる”道を求め続けたのです」

しかし、どれだけ修行しても煩悩を断ち切ることができない――そのことに悩まされ続けたといいます。


🔶 六角堂の籠もりと夢のお告げ

29歳のとき、修行に限界を感じた親鸞聖人は比叡山を下り、京都・六角堂で100日間の籠もりに入ります。

その95日目の夜、夢に救世観音(くぜかんのん)が現れ、法然上人のもとへ行くようにと告げたと伝えられています。


高千穂さん:「夢のお告げに導かれ、親鸞聖人は法然上人のもとへ通い、門弟となられました」

この出会いこそが、のちの親鸞聖人の教えの出発点となったのです。


🔶 流罪と“非僧非俗”の道


しかし、その後ある事件が起こります。後鳥羽上皇の女官が無断で出家したことで、法然門下の念仏集団が弾圧されます。

親鸞聖人は越後(現在の新潟)へ流罪となり、僧籍も剥奪されます。


高千穂さん:「そのときから親鸞聖人は自らを“非僧非俗(ひそうひぞく)”と称されます。僧でも俗人でもない、ただ念仏を称える者として生きられたのです」


流罪の地・越後では、結婚され、魚などを食べる「肉食妻帯」の生活もされながら、民衆と共に念仏の教えを広めていきました。


🔶 関東へ、そして晩年の京都へ

越後から関東へ、そして再び京都へ戻られた親鸞聖人。

90年という当時では考えられないほど長い生涯を、念仏を伝え続けることに捧げられました。


🔶 ロマンあふれる“発見”と親鸞聖人の実在

意外なことに、大正時代までは親鸞聖人は架空の人物だと思われていたそうです。

それが一変したのが、大正10年に西本願寺で発見された“真偽消息(しんにしょうそく)”という手紙でした。

この手紙は、親鸞聖人の妻・恵信尼(えしんに)から娘へ宛てたもので、親鸞聖人の実像が詳細に記されていました。

この発見により、親鸞聖人が実在した人物であることが初めて広く知られるようになったのです。


🔶 まとめ:親鸞聖人が私たちに残したもの

今週は「親鸞聖人のご誕生と生涯」についてお話を伺いました。

高千穂さん:「親鸞聖人は90年の生涯を通じて、念仏の教えを実践し広め続けられました。流罪や弾圧という苦難の中でも、“すべては阿弥陀仏のおはたらき”と受け止め、生き抜かれた姿があります。私たちが今、念仏に出会い、救いを感じられるのも、親鸞聖人のご生涯があったからこそなんです」


🔶 次回予告:「愚禿鈔(ぐとくしょう)」とは?

来週は、親鸞聖人が遺されたお言葉の中から「愚禿鈔(ぐとくしょう)」をテーマにお届けします。

“愚かなる禿(かぶろ)”と自らを名乗った親鸞聖人の真意に迫ります。お楽しみに!


🔶 あなたのお悩み、聞かせてください

この番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。

メールは → [email protected] までお寄せください。


出演

お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)


司会:丸井純子


今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。

あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。

では、また来週お会いしましょう


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高千穂さんのご縁です。By RKKラジオ