小山ナザレン教会

ランナーのように目標を見据えて(稲葉基嗣) – フィリピ3:12−16


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2023年 10月 1日 三位一体第17主日
説教題:ランナーのように目標を見据えて
聖書:フィリピの信徒への手書 3:12−16、エゼキエル書 36:22−28、マタイによる福音書 5:43−48、詩編 130
説教者:稲葉基嗣
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【説教要旨】
わたしたちの人生は旅と表現されることがあります。その旅において、わたしたちは目的地を目指して歩んでいます。多くの人は、人生の旅路の目的地を終着点と呼びますが、わたしたちにとっては、終わりであり、始まりです。わたしたちは復活の望みと、天の国で神と共に生きる希望を持っているからです。その意味で、わたしたちにとって、この旅は目的地にたどり着く日を今か今かとワクワクしながら歩み続ける、喜びにあふれる旅です。旅という言葉は、人生を表すのにぴったりな比喩表現だと感じます。
でも、パウロは目的地へ向かう信仰者たちの姿をフィリピの人たちに伝える上で、旅ではなく、徒競走(スタディオン走という短距離走)を比喩として用いました。古代の短距離走は、神々に捧げるお祭りとして行われました。優勝者のみが冠を受け取り、神々の祝福と多くの富と名声を得ることができました。優勝者以外はすべて敗者でした。そこにはスポーツマンシップなどありません。いかに相手を蹴落として自分が一番になるのかが彼らにとって重要なことでした。
パウロはなぜこのような比喩を用いたのでしょうか。パウロは競争原理をフィリピ教会に持ち込むために、この短距離走のイメージを用いたわけではありません。パウロがこの時に短距離走のイメージを用いたのは、ゴールを目指してひたすらに前を向いて走り続けるランナーのように、キリストを信じる人びともひたすらに追い求めるものがあると伝えたいと願ったからです。
キリストに既に捕らえられ、神の恵みの中で生かされているパウロは、キリストに捕らえられたように、自分もキリストを捕らえたい。つまり、キリストを更に知り、キリストとの関係を深めていきたいと強く願いました。パウロにとってそれは、短距離走のランナーのように、ゴールを目指して前のめりにひたすらにキリストを求めることでした。
ある意味で、それはこの地上の歩みでは決して完成しないものです。完全にキリストを知ることはできません。というのも、誰かを知り、関係を深めていくためには、時間が必要だからです。けれども、キリストとの交わりは、わたしたちの信仰の旅を通して、たしかに完成へと向かって成熟していきます。だから、その交わりが深まり、完成へと向かっていくことを心待ちに、パウロは前のめりになってひたすらにキリストを求めました。
キリストとの出会いは、わたしたちを愛や憐れみ、平和や正義へと突き動かします。どうかみなさんとキリストの交わりを通して、神の愛と憐れみ、平和と正義がこの世界に広がっていきますように。
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