小山ナザレン教会

熱情の行き場(稲葉基嗣) – ヨハネ 2:13–25


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2024年2月25日 四旬節第2主日
説教題:熱情の行き場
聖書:ヨハネによる福音書 2:13−25、ゼカリヤ書 14:20−21、ヘブライ人への手紙 4:14−16、詩編 19
説教者:稲葉基嗣
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イエスさまは「私の父の家を商売の家としてはならない」(16節)と叫びました。
もしも神殿でものを売り買いすることそのものに問題があるならば、
商人たちだけでなく、動物を買う人たちや、
商売を許している祭司たちに対しても、
イエスさまの言葉は向けられたことでしょう。
けれども、イエスさまの言葉は、鳩を売っている商人に対してのみ向けられました。
それは、イエスさまが預言者ゼカリヤの言葉を意識したためでした。
日常的に使うものと、神殿で用いられる聖なるものの区別がなくなり、
神殿専用のものを商人が売る必要などなくなる日が将来、訪れると、
預言者ゼカリヤは語りました(ゼカリヤ14:21)。
ユダヤ人たちは、救い主メシアが訪れたときに実現する出来事として、
この言葉を受け取り、イエスさまは自分の行動と言葉によって、
神殿に商人はもう必要ないと宣言しました。
イエスさまのこのような行動は、熱心なユダヤ人たちの反感を買ったことでしょう。
現在の神殿で行われているシステムを破壊するなど、彼らは気に入りません。
この出来事を見たイエスさまの弟子たちは、「あなたの家を思う熱情が
私を食い尽くす」という言葉を思い出しました(詩編69:10参照)。
弟子たちが思い出したこの言葉は、イエスさまが神の家である神殿を思うあまり、
イエスさまの神殿に対する熱情が、結果的に人びとの反感を買い、
イエスさまを十字架にかけて殺すことになったことを書いているように見えます。
でも、詩編69篇で神殿に対する熱情を持っているのは、詩人自身ではありません。
詩人を批判し、あざ笑う人たちが、神殿に対する熱情を持っている人たちでした。
そのため、この詩編を引用しているヨハネは、
イエスさまを死へと追いやったのは、
イエスさま自身の神殿に対する熱情ではなく、
神殿に対する熱情を抱いていた人びとだったと伝えようとしています。
救い主メシアの時代の訪れを拒み、
その時代の神殿のシステムを守ろうという熱情がイエスさまを食い尽くしました。
それは、形を変えて、どんな時代でも、何度も何度も起きています。
熱情が暴力と結びつく世界は、主イエスを何度も十字架にかけるような世界です。
暴力を自分の熱意によって正当化する世界は、ムチを持ったイエスさまの姿を
都合よく利用し、その上で、イエスさまにムチを打つような世界です。
わたしたちは、そんな世界の現実を肯定したくありません。
だからわたしたちは、自分たち自身が心に抱く熱意や願いが、暴力ではなく、
キリストの愛や憐れみ、そして平和に結ばれ続けることを願います。
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