
Sign up to save your podcasts
Or


2025年6月22日 三位一体後第1主日
説教題:人はなぜ園の外へ出て行ったのか?
聖書: 創世記 3:14–24、ヨハネの黙示録 22:1–5、詩編 100、ヨハネによる福音書 14:1–6
説教者:稲葉基嗣
-----
創世記3章の物語において、人間が神との約束を破った時、彼らは神から呪いを受けることはありませんでした。むしろ、ここで、呪われたと告げられているのは、私たちが生きるこの大地です。そもそも働くことは、人間が過ちを犯す前から、人間たちに与えられた使命のようなものでした。神と共に、園を維持し、管理する。それが人間に与えられた仕事でした。人間の犯した過ちの影響で大地が呪われたために、人間に与えられたその使命が、エデンの園の外の世界においては、過酷なものとなってしまいました。それが神が人間たちに伝えていることです。ですから、人間たちに呪いの言葉は、ここでは一切神から与えられていません。そのため、エデンの園からの追放は、過ちを犯した人間たちに罰を伝えるためだけのものとして描かれているわけではないといえます。この物語の結びである23節と24節で、人間たちは園から「追い出され」、「追放された」と記されています。23節の方は、「派遣する」という意味合いの言葉が使われています。ですから、エデンの園の外の世界の大地を耕すという目的をもって、人間たちは園の外へと神から派遣された、と記されていることがわかります。人間が園の外に出て行き、世界を耕し、維持し、管理する。それが人間たちに最終的に期待されていることでだと、この物語の始まりから考えることができます。そうであるならば、エデンの園からの追放は、単なる罰ではないといえるでしょう。確かに人間たちは過ちを犯してしまいましたが、神は人間を見捨てていません。過ちを犯してしまったけれども、神は彼らに使命を与え、目的を持って、園の外の世界で生きるようにと、送り出しています。人間たちに裏切られたけれども、神は人間たちを憐れみ、人間たちを諦めず、人間たちに期待することをやめず、ご自分の良い目的のために、彼らをエデンの園の外の世界へと送り出したのです。土を耕す人を必要としていた世界へと、神は彼らを送り出したのです。ですから、人が園の外へ出て行ったのは、失敗や堕落だけの理由ではありません。私たちが失敗し、神を落胆させることがあるにもかかわらず、神は私たちと手を取り合いたいと願っておられます。何度でも諦めず、この世界の回復と癒やしを目指して、この世界を一緒に耕そうと、神は私たちをいつもそれぞれの生活の場へと送り出してくださっているのです。
By 小山ナザレン教会2025年6月22日 三位一体後第1主日
説教題:人はなぜ園の外へ出て行ったのか?
聖書: 創世記 3:14–24、ヨハネの黙示録 22:1–5、詩編 100、ヨハネによる福音書 14:1–6
説教者:稲葉基嗣
-----
創世記3章の物語において、人間が神との約束を破った時、彼らは神から呪いを受けることはありませんでした。むしろ、ここで、呪われたと告げられているのは、私たちが生きるこの大地です。そもそも働くことは、人間が過ちを犯す前から、人間たちに与えられた使命のようなものでした。神と共に、園を維持し、管理する。それが人間に与えられた仕事でした。人間の犯した過ちの影響で大地が呪われたために、人間に与えられたその使命が、エデンの園の外の世界においては、過酷なものとなってしまいました。それが神が人間たちに伝えていることです。ですから、人間たちに呪いの言葉は、ここでは一切神から与えられていません。そのため、エデンの園からの追放は、過ちを犯した人間たちに罰を伝えるためだけのものとして描かれているわけではないといえます。この物語の結びである23節と24節で、人間たちは園から「追い出され」、「追放された」と記されています。23節の方は、「派遣する」という意味合いの言葉が使われています。ですから、エデンの園の外の世界の大地を耕すという目的をもって、人間たちは園の外へと神から派遣された、と記されていることがわかります。人間が園の外に出て行き、世界を耕し、維持し、管理する。それが人間たちに最終的に期待されていることでだと、この物語の始まりから考えることができます。そうであるならば、エデンの園からの追放は、単なる罰ではないといえるでしょう。確かに人間たちは過ちを犯してしまいましたが、神は人間を見捨てていません。過ちを犯してしまったけれども、神は彼らに使命を与え、目的を持って、園の外の世界で生きるようにと、送り出しています。人間たちに裏切られたけれども、神は人間たちを憐れみ、人間たちを諦めず、人間たちに期待することをやめず、ご自分の良い目的のために、彼らをエデンの園の外の世界へと送り出したのです。土を耕す人を必要としていた世界へと、神は彼らを送り出したのです。ですから、人が園の外へ出て行ったのは、失敗や堕落だけの理由ではありません。私たちが失敗し、神を落胆させることがあるにもかかわらず、神は私たちと手を取り合いたいと願っておられます。何度でも諦めず、この世界の回復と癒やしを目指して、この世界を一緒に耕そうと、神は私たちをいつもそれぞれの生活の場へと送り出してくださっているのです。