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2025年5月4日 復活節3主日
説教題:人とは何者なのか
聖書: 創世記 1:20–28、コロサイの信徒への手紙 1:15、詩編 8、ルカによる福音書 10:25–37
説教者:稲葉基嗣
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詩編8篇で、この世界の、これらすべてのもの、そのひとつひとつを神がデザインし、神が造り、命を与えたという事実に、詩人は圧倒されています。そして、神によって造られたもののひとつに過ぎない、私たち人間に神がその目を留めてくださっている不思議さに、詩人は驚きを隠せませんでした。人とは何者なのか、あなたが心に留めるとは。(詩 8:5)私たちの生きる現代社会において、この言葉はまた違った意味で響いています。自国優先の主張、終わらない戦争や暴力、温暖化によって頻発する山火事や洪水。そういったことを引き起こしている人間とは、何者なのでしょうか。創世記1章は、このような社会で生きる私たちに、人が何者であるかを思い起こすように促すような物語です。ここで特徴的な言葉は、人間が神のかたちに造られているということです。古代エジプトやメソポタミアにおいて、神のかたちは、王さまや王族など、ほんの一握りの人びとに対して使われた言葉でした。創世記はほんの一握りの人たちのみを神のかたちと呼ぶことを拒否しています。人類全体、誰もが、神のかたちを持っている。誰もが特別な存在で、尊い存在なんだと伝えています。ただ、私たちがその事実を誇るためだけに、神は私たちを神のかたちに似せて造ったわけではありません。創世記は、私たち人間の決して揺るがない尊い価値を認めたその上で、私たちが誰かとの関係の中に生きていることを伝えています。それはわたしたち人間と神との関係だけではありません。神は人間を造ったと言わず、男と女に人間を造ったと伝えることによって、自分とは異なる他者との関係の中で生きることが自然なことと伝えています。そして、この世界を治めるようにと創世記は伝えます。それは、際限のない搾取を肯定するような言葉ではありません。それは、この世界が更に命で溢れていくことを目指して生きることによって、神の創造の働きを引き継いでいくようなものです。一体、どうすれば神のかたちに似せて造られた私たちは、神が望む、豊かで、喜びと命に溢れる関係性をこの世界の中で築きながら歩めるのでしょうか。神が私たちのもとに送り、私たちと共に歩んでくださる、イエスさまのうちにこそ、私たちは神のかたちを見出すことができます。私たちがイエスさまを見つめ、イエスさまと共に生きることを通して神は、私たちの神のかたちを癒やし、命の息をその日常に届けようとしておられます。だからこそ、神のかたちを持る者の歩みを指し示すキリストが私たちには必要です。
By 小山ナザレン教会2025年5月4日 復活節3主日
説教題:人とは何者なのか
聖書: 創世記 1:20–28、コロサイの信徒への手紙 1:15、詩編 8、ルカによる福音書 10:25–37
説教者:稲葉基嗣
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詩編8篇で、この世界の、これらすべてのもの、そのひとつひとつを神がデザインし、神が造り、命を与えたという事実に、詩人は圧倒されています。そして、神によって造られたもののひとつに過ぎない、私たち人間に神がその目を留めてくださっている不思議さに、詩人は驚きを隠せませんでした。人とは何者なのか、あなたが心に留めるとは。(詩 8:5)私たちの生きる現代社会において、この言葉はまた違った意味で響いています。自国優先の主張、終わらない戦争や暴力、温暖化によって頻発する山火事や洪水。そういったことを引き起こしている人間とは、何者なのでしょうか。創世記1章は、このような社会で生きる私たちに、人が何者であるかを思い起こすように促すような物語です。ここで特徴的な言葉は、人間が神のかたちに造られているということです。古代エジプトやメソポタミアにおいて、神のかたちは、王さまや王族など、ほんの一握りの人びとに対して使われた言葉でした。創世記はほんの一握りの人たちのみを神のかたちと呼ぶことを拒否しています。人類全体、誰もが、神のかたちを持っている。誰もが特別な存在で、尊い存在なんだと伝えています。ただ、私たちがその事実を誇るためだけに、神は私たちを神のかたちに似せて造ったわけではありません。創世記は、私たち人間の決して揺るがない尊い価値を認めたその上で、私たちが誰かとの関係の中に生きていることを伝えています。それはわたしたち人間と神との関係だけではありません。神は人間を造ったと言わず、男と女に人間を造ったと伝えることによって、自分とは異なる他者との関係の中で生きることが自然なことと伝えています。そして、この世界を治めるようにと創世記は伝えます。それは、際限のない搾取を肯定するような言葉ではありません。それは、この世界が更に命で溢れていくことを目指して生きることによって、神の創造の働きを引き継いでいくようなものです。一体、どうすれば神のかたちに似せて造られた私たちは、神が望む、豊かで、喜びと命に溢れる関係性をこの世界の中で築きながら歩めるのでしょうか。神が私たちのもとに送り、私たちと共に歩んでくださる、イエスさまのうちにこそ、私たちは神のかたちを見出すことができます。私たちがイエスさまを見つめ、イエスさまと共に生きることを通して神は、私たちの神のかたちを癒やし、命の息をその日常に届けようとしておられます。だからこそ、神のかたちを持る者の歩みを指し示すキリストが私たちには必要です。