ひとみが週末に熊本県天草地方へ旅をした話。熊本県の海側(西側)に位置する天草地方は、熊本市街から車で約1時間半〜2時間くらいかかる距離感の場所。海沿いを走るので天気のいい日はドライブに最適です。が、ひとみが旅をしたときは天気は雨。青空を見ることは叶いませんでしたが、2018年に世界遺産に登録された集落を見たり、海鮮グルメを満喫しました。次回の旅の計画の参考にしてみてくださいね。
リンク
- 美しい海の町には、語り継がれてきた歴史があった。熊本・天草への旅→https://note.com/hitomi_0123/n/n35491429f690
- 248 旅の計画〜熊本・天草への旅→https://note.com/nichitabi/n/n971ec54ef486(YouTubeはこちら)
- 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(文化遺産オンラインHP)→https://online.bunka.go.jp/special_content/hlinkI
補足
今回の話で出てきた、日本以外の潜伏キリシタンに関する遺跡を調べてみました。世界遺産に登録されているのは日本だけですが、他の国でも、潜伏キリシタンに関しての事例をご紹介します。(参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Crypto-Christianity)
1. 中東・オスマン帝国(イスラム教支配下)イスラム教国家の支配下では、キリスト教徒は「ズィンミー(庇護民)」として税金を払えば信仰を認められることが多かったものの、時代や地域、政治的圧力によってイスラム教への改宗を強制されたり、激しい迫害を受けたりした際に、多くの隠れキリスト教徒が生まれました。
- リノバムバコイ(キプロス島)
16世紀にオスマン帝国がキプロス島を征服した際、多くのキリスト教徒が税金の免除や迫害回避のためにイスラム教へ改宗しました。しかし彼らは裏でキリスト教の洗礼や礼拝を続けており、リノバムバコイ(「麻と綿の混紡」を意味し、表と裏の二面性を持つ比喩)と呼ばれました。 - 暗黒時代のギリシャやアナトリア(現トルコ)
オスマン帝国領内のギリシャ人やアルメニア人、アッシリア人の中には、公にはムスリム(イスラム教徒)として振る舞い、家の中の地下室などで密かにキリスト教の祈りを捧げ続ける共同体が19世紀〜20世紀初頭まで存在しました。
2. イベリア半島(スペイン・ポルトガル)中世以降のスペインやポルトガルでは、逆に「キリスト教国が異教徒を迫害・強制改宗」させたことで、複雑な潜伏宗教者たちが生まれました。
- モリスコ(元イスラム教徒の隠れキリスト教徒)
レコンキスタ(国土回復運動)によってイスラム王朝が滅ぼされた後、キリスト教への改宗を強制されたムスリムたちのことです。彼らの多くは表向きカトリック教徒として振る舞いましたが、実際には密かにイスラム教を信仰し続けました(隠れムスリム)。しかし、その中にはさらに複雑に、本当にキリスト教を信じるようになったものの、周囲のムスリムコミュニティから孤立しないよう「隠れキリスト教徒」として振る舞わざるを得なかった人々もいたとされています。 - マラーノ / コンベルソ(隠れユダヤ教徒)
同じくイベリア半島でキリスト教への改宗を迫られたユダヤ人たちです。彼らは表向きカトリックとなりましたが、密かにユダヤ教の戒律や儀式を守り続けました。
3. イギリス(プロテスタント改革期)16世紀、ヘンリー8世の宗教改革やエリザベス1世の時代に、イギリスはカトリックからプロテスタント(イングランド国教会)へと国教を切り替えました。
- チャーチ・パピスト(Church Papists)
当時カトリック教会への礼拝は違法となり、重い罰金が科されました。そのため、多くのカトリック信徒は処罰を避けるために表向きは国教会の礼拝に出席しつつ、自宅の隠し部屋(主教の隠れ穴など)にカトリックの司祭を匿い、密かにミサを行っていました。
4. 旧ソ連・東欧(共産主義体制下)20世紀、共産主義国家(無神論を掲げる体制)の元では、キリスト教を含むすべての宗教が激しく弾圧されました。
- 地下教会(カタコンベ教会)
ソビエト連邦では、政府の公認・監視下にある教会以外はすべて非合法化されました。そのため、多くの信徒は表向きは共産党員や無宗教の労働者として生活し、夜間に森の中や民家の地下室に集まって秘密裏に礼拝や洗礼を行っていました。 同様の状況は、文化大革命期の中国や、現在の北朝鮮などでも見られます。
また、日本以外にも「迫害の歴史を伝える地下遺構」や「隠れて祈りを捧げた場所」自体は世界各地に存在し、別の文脈(初期キリスト教の歴史や建築美など)で世界遺産に登録されているケースはあります。代表的な遺跡をいくつか紹介します。
1. 別の文脈で世界遺産になっている「隠れキリスト教徒」の遺跡- カッパドキアの岩窟教会群(トルコ)
- 世界遺産名:ゴレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群
- 概要:3〜4世紀頃のローマ帝国による迫害や、その後のイスラム勢力の拡大から逃れるため、キリスト教徒たちが奇岩をくり抜いて作った地下都市や岩窟教会です。内部には美しいフレスコ画の聖画(イコン)が残されており、まさに「隠れキリスト教徒の巨大シェルター」ですが、世界遺産としてはその独特な自然景観とビザンツ美術の価値が評価されています。
- ペーチの初期キリスト教墓地遺跡(ハンガリー)
- 世界遺産名:ペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡
- 概要:4世紀、ローマ帝国末期に造られた地下の埋葬室(カタコンベ)と、地上にある礼拝堂の遺構です。当時のキリスト教徒たちが密かに集まり、信仰を維持していた地下空間であり、壁には聖書の場面が描かれています。地下の宗教建築としての希少性が評価されています。
2. 世界遺産ではないが、海外に存在する有名な「潜伏・隠れ」の遺跡- ローマのカタコンベ(イタリア)
- ローマ帝国による大迫害時代(1〜4世紀)、キリスト教徒たちが密かに集まり、礼拝や殉教者の埋葬を行った地下墓地です。ローマ市内とその周辺に多数存在し、現在も見学が可能です。
- チャーチ・パピストの「司祭の隠れ穴」(イギリス)
- 16〜17世紀のプロテスタント改革期、カトリック信徒が密かに礼拝を行うため、イングランド各地の古風なマナーハウス(貴族の邸宅)に「Priest hole(司祭の隠れ穴)」と呼ばれる秘密の部屋や二重壁が作られました。
- 現在もハドウィック・ホールなどの歴史的建造物の中にこの隠し部屋が残されており、一般に公開されています。
海外の「潜伏キリシタン」の遺跡(カタコンベや地下都市)の多くは、数十年〜100年ほどで「迫害が終わって解放された」か、あるいは「別の宗教に完全に同化した」場所です。これに対し、
日本の長崎や天草の集落が世界遺産に選ばれたのは、「宣教師などの指導者がいない孤立した環境で、250年間(約7世代)もの長きにわたり、仏教や土着の信仰と融合しながら、独自の信仰形態を密かに維持し続けた」という、世界でも類を見ない奇跡的な文化的伝統を証明しているためです。(参考:https://whc.unesco.org/en/list/1495/)
BGM: Rue Severine by Blue Dot Sessions
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