『弱さ考』井上慎平のままならジオ(ままなラジオ)

『弱さ考』井上慎平のままならジオ(ままなラジオ)

By 井上慎平(『弱さ考』著者/問い読共同創業者)Society & CulturePhilosophy
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『弱さ考』井上慎平のままならジオ(ままなラジオ) episodes

  • 「生きづらい」という言葉の危うさ|ままならジオ(ままなラジオ)#6

    「生きづらい」という言葉の危うさ|ままならジオ(ままなラジオ)#6

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。

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    「生きづらさ」という言葉は、大切なんやけど危うい。今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。はい。僕は、『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』という本を書きました。鬱になった、と聞くともう治ったかのように聞こえるかもしれませんが、全然治ってないんですよね。いまもちょっと鬱とけっこう鬱のあいだを行ったり来たりの毎日です。具体的にいうと、人と会話するのにすごくエネルギーを使う。ちょっと仕事したらすぐ頭が回らなくなる。脳がめちゃくちゃ疲れやすくなってるんですよね。だから、けっこう生きづらいっちゃ生きづらい。あと、社会的にどうかはさておき、2026年現在、障害者手帳を支給されて福祉のお世話になっとるんで、いわゆる「弱者」だと言えないこともないと思います。でも、僕は極力「生きづらさ」とか「弱者」とかの言葉を使わんように意識してるんです。なんで使わんのかというと、大きく理由は二つあって、一つは、誰だって、いつの時代の人だって「生きづらい」ことに変わりはないからです。おもろい本があるんで一冊紹介させてください。『生きづらい明治社会』っていう歴史学者松沢裕作さんの本なんですけどね。着眼点がおもしろい。今は変化の時代だ、ってよくいうけど、それでいうと明治社会の生きづらさはすごかったぞ、と。もちろん変化が激しい社会だからこそ「時代のヒーロー」も生まれるわけですけど、その一方でふつうの人にとってはものすごく不安な時代だったはずだと。ちょっと話題が逸れるんですけど、明治時代の不安について、おもしろいことが書いてあるんで、引用しますね。私がこの本のなかでこれから述べることは、不安のなかをいきた明治時代の人たちは、ある種の「わな」にはまってしまったということです。人は不安だとついついやたらとがんばってしまったりします。みんなが不安だとみんながやたらとがんばりだすので、取り残されるんじゃないかと不安になり、ますますがんばってしまったりします。これは、実は「わな」です。なぜなら、世の中は努力すればかならず報われるようにはできていないからです。これは、僕が初回で言った、「人生は残酷だ」っていうテーマそのものです。人は不安から頑張る。でもその頑張りが報われるとは限らないっちゅうね。で、著者がこの本で明らかにしていくのは、明治時代というのはめちゃくちゃ生きづらかったという話です。その詳細をここでは語りませんが、人権なんて考えもありませんから、困ったって僕みたいに福祉が助けてくれるなんてこともないし。めちゃくちゃ大変やし、今よりもっと自己責任的です。現代ももちろん、生きづらさを抱えている人はたくさんいるでしょう。それは事実です。でも、それは何も今だけのことやない。どの時代にもそれぞれの生きづらさがあった。たとえば、現代でハラスメントを受けるのはとても辛いけど、それをハラスメントだと、いけないことだと言っていい、思っていいこと自体は、少しだけ生きづらさを少なくしてるはずなんです。ハラスメントなんて言葉がなかった時代はずっと泣き寝入りやった。問題は少しずつマシになっていく。でも、マシになるともっと細分化した問題が生まれます。今も、「なんとかハラスメント」って言葉は何十個とあるでしょう。もちろんハラスメントはあっちゃいかんけど、一個解決されたらまた次のハラスメントが解決の対象になっていく。一生なくなりはしないんですよね。どの時代にもそれぞれの生きづらさがあるっちゅうんはそういうことです。世界は残酷ですね。それに、同時代の人同士でもそれぞれの生きづらさがあります。僕は「人には人の地獄がある」って言葉が好きなんですね。これは太宰治の言葉らしいですけど。以前、宇垣美里さんが「私には私の地獄がある」って言ってて、ほんまにそうやろなって思いました。誰もがうらやむ美しさを持って生まれてきてる彼女がなぜそんなことを言うのか。それは、美しいからやと思うんですね。人って、恵まれた人には上から目線ならぬ下から目線でいくらでも残酷な言葉を投げつけられる怖さがある。ほめられるようなふりをして妬まれるような言葉を、反論しづらいような言葉を宇垣さんはたくさん投げつけられてきたように思うんです。そもそもそうやないと宇垣さんも「私には私の地獄がある」なんて言わないでしょう。誰から見ても恵まれた人生を生きている人にだって、生きづらさがあるんです。これは、「みんながつらいから我慢しろ」って話じゃないです。あなたがつらいなら他の人と比べる理由なんかない。ただ、そのときに、自分だけがつらいわけじゃない、と知ったうえで、「私はつらい」と言えるのと、「自分だけがつらい」かのように「私はつらい」というのは大きな差がある。さて、僕が「生きづらさ」とか「弱者」を使わない、もう一つの大きな理由。それは、被害者的になると自分の人生が始まらないからです。人生はままならない。僕で言えば人とふつうに会話することも、仕事することもただ、立っていることも、すべてがままならない。でも、「なんで自分だけがこうなんや」「おれはがんばって働いただけなのにあんまりや」とか嘆いていると、楽になる代わりに、いつまでたっても自分が「被害者」ポジションから動けなくなってまうんですよ。もちろん、最初は僕だって嘆きますよ。理不尽に対して嘆かないなんて不自然です。人間そんなに強くない。でも、いったん嘆き散らしたら、その後は、立ち上がって歩いていかんといかん。人生は続きますから。理不尽やままならなさが襲いかかってくると、人はしばらく「こうでなかった可能性」を考えます。大切な人をなくしたときのことを想像したらいい。ああすればよかった、こうすればまだ生きてたかも、そう思って当たり前でしょう。でも、「こうでなかった可能性」を考え続けているうちには、自分の人生が始まらない。この考え方は哲学者千葉雅也さんが『欲望哲学』のなかで語ったことに大きく影響を受けてます。彼はざっくり言えば「たまたま偶然でこうなってしまった。その偶然性を引き受けないと主体化できない」って言ってるんです。主体化するというのは、自分が他ならぬ自分として生きていくということです。たまたまを、偶然性を引き受けないうちは、自分のことを「誰でもない、他ならぬ自分」として生きていくことはできへん。だから僕は、自分が生きづらいとも弱者やとも、あえて言いません。今の時代は「被害者性の時代」です。あらゆることに対して被害者やと無限に主張できてしまう。そんな時代やからこそ、僕は、それでも被害者的に生きていくかどうかは自分で決めないとあかんのちゃうのって、そんなことを思います。もちろん、被害者であることは事実やとしてもね。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想も募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

    15 min
  • 鬱っぽい人の憂鬱な日常|ままならジオ(ままなラジオ)#5

    鬱っぽい人の憂鬱な日常|ままならジオ(ままなラジオ)#5

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。

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    「鬱」の人っていったい毎日どんな感じなん?今日はそんなお話です。ままなラジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。はい。僕は、『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』という本を書きました。鬱になったーって聞くともう治ったかのように聞こえるかもしれませんが、全然治ってへんのですよね。よく、自己紹介のときに「まだうっすら鬱としっかり鬱のあいだを行ったり来たりしています」と僕は話します。でも、たぶんどんな感じかようわからんと思うんですよね、鬱って。今日は僕がどんな毎日を過ごしてるんか、それは発症前とどう違うんか、つれづれとお話ししてみたいと思います。なんでこんなことを話そうと思ったんか。昨日たまたまね、元プロ野球選手の清原さんがYouTubeをやっていることを知ったんですよ。いつもは、清原さんが野球関係のことを話してるんやけど、一回だけ「鬱のことを全部話す」っていう全然テイストの違う回があって。清原さんももう5年くらい鬱に苦しんでるらしいです。それをみたら、自分も「ああ〜」って、なって。そうなんよ、そうなんよなあ。っていろいろ響く部分があって。自分も語ってみよかってなったっちゅうわけです。まず、大前提として、鬱は治るもんです。でも、人によってはかなり長い時間がかかったりします。僕はまだ治ってへんし、はっきり言って5年経ってもほぼよくなってへんなと思います。人によっては症状と何十年、あるいはずっと付き合っていくパターンもあるみたいです。僕も正直、いつか治る、前の自分に戻るっちゅうことはイメージできへんところがありますね。というのも、明らかに脳の回路が書き換わってんなーと感じるんで。鬱の症状は人それぞれです。でもだいたい共通するんが、調子が悪いときは脳のあらゆる部分がボイコットを起こして、どんな好きなことであっても「何かをしたい」という意欲そのものが消え失せてしまうところ。僕で言うと、元気な時は本を読んだり人と話すのが好きなことですが、鬱のときは「したい」っていう感覚が消滅しますね。何に関しても。あれ、いつものみたいコーヒーが飲みたくない、とかそういうところから、ああ、今日はしっかりめの鬱なんやなって逆に気づくくらいで。体温計みたいにわかりやすく状態がわかったらええねんけど、脳には触覚も痛覚もないからわからんのよなー。鬱の時は、「ただ何もできへん」という時間が大量にある。でも暇つぶしする体力も意欲もあらへん。時計が進まん。この強制的に何もできへん状態に追い込まれるっちゅうんは地獄です。つらつらと語っていくと、次に辛いのは眠る力が落ちることですね。鬱のなかでもたまにずっと眠たい過眠タイプの人もいますが、多くの場合は眠れへんくなりますね。僕は毎日睡眠薬を飲んでて、眠りに入るのはそんなに困らへんけど、夜中や朝方しょっちゅう目が覚めますね。だいたい平均で4回くらいは覚めます。その浅ーい眠りの中で何回も悪夢をみます。どんな悪夢か、起きたらだいたい思い出せへんのですけど。ぐったりしたなかで朝が始まって、ええなあ、すっきりした始まりの朝がきてほしいなあって思うけど、もう最後がいつやったかは思い出せへんね。で、しっかり鬱の日は人と話すんが億劫になります。んー、「会話する」っていうのはめっちゃ高度な脳の働きの応酬なんですよね。まず、相手の言っていることを言葉として理解する。これももう疲れます。自分の頭で次何を言うか考えて、相手に返す。相手がまた言葉を発する。それを必死になって聞く。その繰り返し。うっすら鬱としっかり鬱のあいだにいるっていうのは、僕の感覚で言えば1日どのくらい会話できるかに波があるんです。うっすら鬱の日でも、シラフやと休憩を挟んで4時間が限界。しっかり鬱の日はほぼゼロです。いや、逆に感動しますよ。脳ってすごいことしてたんやなって。ただの音の羅列を日本語として理解する。「今までこれをなんなくこなしてたんか!」ってもはや感動します。誤解されがちなとこでいうと、鬱って、心の病じゃなくて脳の機能不全なんよな。やから、僕でいえばまず聴覚が変わった。今までは音が鳴っとるってことにとくに困らず生きてたんやけど、今はうるさい環境、二重三重に音が鳴ってる環境やとめっちゃ疲れます。カフェとか。駅の構内とか。選挙演説とかはマジでミュートしたいですね。今までは必要な情報とそうじゃない情報を脳がフィルタリングしてくれてたんやけど、今は全部の音の羅列がだーっと雪崩れ込んでくる。やからけっこう疲れます。視覚で言うと、何かが目に入ること自体がしんどい。とくに広告なんかつらいね。めっちゃ情報量多いし、その情報の束がフィルタリングされずに全部一気に雪崩れ込んでくるから。あとおもろいんが、人の顔が見れんくなったんですよ。顔ってめちゃくちゃ多くの情報を含んでますよね。無限の情報を人は表情に詰め込むことができますから。でも、僕はもうそれを受け取れへんから、人の顔を見て会話ができへんですね。1,2秒が限界。目を合わせるっていうのは最難関で、もう脳が反射的に拒否します。目線もまた情報量が多いんでしょうね。こんな状態やから、東京にたまにいくと、耳栓して、ずっと下向いて歩いてます。やからめっちゃ肩ぶつかります笑。すんません、すんません、みたいな。「いや、井上はいろいろメディアに出てあれこれ語っとるやんか」と思われるかもなんですけど、まず、前提、めっちゃ休憩入れてもらってます。物理的に縦になって立ってるだけで疲れるから、床に横にならせてもろてます。今話してて思ったけどとにかく疲れるんですね。これは、「易疲労」って言って、易って、あの容易くのやすくの部分の字ね。鬱だけじゃなくて脳の機能障害を患った人にけっこう共通する症状がこの易疲労。これ豆な。豆知識。で、なぜふつうに話せているように見えるか。それは、一時的にならふつうっぽく話せるってことなんですよね。1日何時間かだけなら人と話せる。それをイベントや取材に集中させればなんとかやってけるという感じ。いや、イヤイヤ話してへんから、これ聞いた人も「井上さんと話すのはかわいそうやからやめよう」とか思わんといてほしいんですけど。生きがいやからね。もう一個のふつうっぽく話せてる理由は、「鬱なりのペースでゆっくり話す」っていう選択肢が実質的にないからなんですね。会話って相手があってのことなんで、僕だけがゆっくり話して相手は早口でーーゆうても僕にとって早口なだけでその人からしたらそんな早くないふつうのペースでーー話すって、成立しないんよ。何回か試してみたけど。それを貫いたらめちゃくちゃ気を遣われてしまうし。やから、「周りからみてふつうっぽい感じで話す」か、そうじゃなかったら「休憩する、つまり一切話さへん」かどっちかなんですね。だから取材とかイベントの後とかはだいたいしんでますね。道路のど真ん中でいきなり寝転がりたいくらい。やから、「元気そうやん」って言われるとちょっとしょげる笑。厳密には急激に減っていく「元気ゲージ」をそのとき使ってるだけなんよね。清原さんも、「YouTubeみたら元気そうやんか!って言われるけど元気じゃない」って言ってました笑。わかるーってなった。そうなんですよね。元気な日など発症以来あったことは一度もない。これがまあ、僕のままならなさですかね。たまに、井上さんよく1人語りの番組できますね、って言われるんですよ。やってみたらわかるんですが、1人語りやとすぐネタが尽きて、だいたい続かないんよね。でも、僕にとっては会話というのが最も疲れるもんなんで、むしろ1人語りやないと続かんのです笑。それでも、話したい。話すことで世界とつながっていたい。そんな気持ちでやってます。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いときますね。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

    17 min
  • ミッドライフクライシスをどう乗り越えるか|ままならジオ(ままなラジオ)#4|ままならジオ(ままなラジオ)#4

    人生には「いい敗け方」が必要だ|ままならジオ(ままなラジオ)#4

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。

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    「人生にはいい敗け方が必要だ」今日はそんなお話しです。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。『弱さ考』で書いたとおり、僕は5年ほど前に鬱になりました。一時期ほどひどくはないですが、いまもうっすら鬱とけっこう鬱のあいだをいったりきたり、という毎日を過ごしてます。鬱を発症した時は30代前半でしたが、気づけば、僕も周りももう40近いんですよね。そしたら、いわゆる中年危機、ミッドライフクライシスの話題がめっちゃ出るんですよ。もう10年くらいするとこれが血糖値とか尿酸値の話になるんでしょうけどね笑。で、ミッドライフクライシスっていうのは、いわゆる人生の前半戦を終えた人が「自分の人生。このままでいいのか?」って悩むことらしいです。心理学者のユングって人は、この時期を「人生の正午」って呼んどるらしい。12時ジャストの正午ね。おしゃれやね。僕らは人生の夕暮れどきに向けて、準備をせなあかんのやと。ぼくの主観ですけど、ミッドライフクライシスはビジネスの世界でバリバリやってきた男性ほど悩む確率が高いです。女性ほど社会で生きるうえで障害物が多くないから、仕事というシンプルなゲームに没頭できてたツケが、40代になってまわってくるんですね。僕はたまたま鬱になって、「努力して、成果を出す」というシンプルなゲームから弾き出されてしまったんで、今思えば、早めにこのクライシスを体験したとも言えるんですね。なんか先輩風ふかせて言いますけど。やから、今はある程度整理できてるんちゃうかなあ、と思います。ミッドライフクライシスをどう乗り越えるかって、「人生のいい敗け方」を見つけるってことやと思うんです。これは僕の友人の言葉なんですけど。みんな、敗けることを、老いていくことを、諦めきれないんですよ。だから、「若い頃は流動性知能が強いけど、年齢を重ねたら結晶性知能が強いんや」、つまり人生後半戦では総合的な判断力で勝てるんやみたいな話に飛びついたり、シンプルにアンチエイジングにいそしんだりするでも、これってできるかぎり「勝てる自分」でい続けたいっていう前提なんですよね人生を勝ち負け的にしか見れないことが、ままならなさの根源になってる。もうひとつは、シンプルに何に対する「勝ち負け」をやってるのかが、自分でもようわからんくなってくるんですね。がむしゃらになればよかった20,30代を超えて。ほな、どうしたらええんかと。「人生の正午」を超えたら発想を転換せんとあかんのですよね。ひとつは、「結果」から「プロセス」への転換。結果に喜びを見出すんじゃなくて、心地よくやれてるかっていうプロセスの方を大事にする。もうひとつが、「相対」から「絶対」への転換やと僕は思ってます。人と比べる世界観から、自分固有の世界観を打ち立てる方向に、少しずつ人生を転換させていく。仕事ができるとか、そういう客観的で数値化しやすい基準で自分を誇ることから、もっと主観的で、誰にも理解されない基準での誇りを手にするってことですね。たとえば、僕の周りでも推しがいる人はあんまりミッドライフクライシス悩んでない印象ですね。逆に「自分で自分を応援してきました」っていうタイプの人が、何を、どう応援してええかがわからんくなってきてる。いや、まあかつての僕ですね。この転換がうまくできへん人がおる。それは結果・相対の世界でうまくいっていたほど顕著かもしれませんこの発想の転換ができへんかぎり、どこまでいってもしんどいです。どれだけ先延ばししても絶対老いますからね。結局、どこかで敗けてしまう。テクノロジーの変化はとくに若手に有利ですから、この時代はとりわけこの中年危機は顕著でしょう。「敗けたという事実」を、「いずれ敗ける」という事実を受け止めて他のゲームを始めるしかないんでしょうね。自分は取るに足らない、どこにでもいる一人の人間だということを認める。そういう自分とゆっくり、それこそ焚き火を囲むように並んで、二年、三年と時間をかけて気持ちの整理をつけていく。いや、自分が大したことない人間じゃないってことくらい最初からわかってたよ、っていう人もたくさんいるかもしれません。そういう人には、僕は傲慢でした申し訳ないというしかない。でも、周りにけっこうおるんよね。たとえうすうす自分は大したことないってわかってても、まだまだ可能性はある、って言い聞かせて生きないと、なかなかやっていけへんから。それは傲慢さでもあるし、弱さでもある。結果のゲームからプロセスのゲームへ。相対のゲームから絶対のゲームへ。両方とも突き詰めて言えば、今ここを楽しむということでしかない。でも「今ここ!」って力んで何かしようとしている時点で、やっぱりそれもちょっと無理してるんですよね。僕は本の中で、「さようなら、よりよい明日。」と書きました。結局、頭のなかで右肩上がりの線を描いているうちはうまくいかない、と思ったからです。右肩上がりを信じてやってきた人は、いざその物語を失うと次にはじめるゲームがない。市場価値を高めるとか、そういう言葉のなかで生きていかないといけない僕たちは、ある程度それは運命付けられてんのかもしれません。まずは右肩上がりの角度を少しずつ緩めていく。そして、もう誰も外部からゲームを与えてはくれへんねやな、自分なりのゲームをスタートさせなあかんねやな、その残酷さ、ままならなさを少しずつ自分に馴染ませていく。そこから始めるしかないんやろね。いまの資本主義社会があまりにシンプルなゲームを最初に設定してくるから、そこから違うゲームを自分で作り出していくのはけっこう大変なんやで、だから迷って当然なんやでっていう話でした。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想も募集してます。僕が主催している、問いの立て方が学べるオンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

    13 min
  • この時代の子育ての正解って?|ままならジオ(ままなラジオ)#3

    この時代の子育ての正解って?|ままならジオ(ままなラジオ)#3

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。

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    「この時代の子育ての正解、むずすぎひん?」今日はそんなお話しです。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。『弱さ考』は、現代社会のビジネスパーソンがどんなしんどさを抱えているかについて書いた本なんですが、その後にいくつかイベントをやらせてもらったんですよね。そのときに必ずといっていいほど出る質問が、「子育て」についてなんです。いったん子育てから離れるけど、いや繋がってるんですけどね、僕が『弱さ考』のなかで指摘したのは、現代のビジネスパーソンが成長のゲームに取り憑かれてしまっている、ということでした。人間にとって成長とか、変化とかってそもそもストレスやしね。資本主義のなかで生きているから、組織があなたに成長を求めてくるだけであって、本来、人は「私は成長や変化が大好きです!」って言えるほうが少数派なんよー、変化や成長がしんどいっていうのは生物学的にすごく当たり前のことなんよー、っちゅう話をしました。「でもね、井上さん」と。質問者の方は言うんですよね。「私はある程度、ああ、自分は資本主義社会の仕組みのなかで気づかないうちに競争をさせられていたんだな、って距離をとれたとしても子どもの子育てにどう向き合っていいかわからないんです」まあ、そうですよねえ。僕はいま長野に住んでますけど、東京とかにいたら小学校受験とか下手したら幼稚園受験とかあったりして、この競争社会に子供は一桁の年齢からほりこまれるわけで。かといって、まわりがいろいろと準備をしてるなかでうちの子はほっといたらええわ、って簡単に思えないのもまた親心なんで。そんなときに僕がいつも答えるのが、「今の世界で子育てできるのはむしろラッキーなんやないかっていうこと」なんですよね。あ、ちなみに僕にも子供がいるんですけどね。どういうことかっていうと、ゲームのルールが速く変わりすぎてるからです。いい大学に行って、いい会社に入って、そしたらいい人生が待っとる。もう、この時代、誰もそんな一本道のルートを信じてないですよね?でも、じゃあ、ほんまにそれを捨てきれてるんか?っていうと、そうでもないわけです。いい大学にいったら、そうやない大学よりは少なくとも可能性がやや広そうやから、みんなちっさい頃から受験させるわけで。結局「いい大学に入ればいいことがある」っていう価値観はぼんやーり生きとるんですよね。で、僕が「今の世界で子育てできるのはむしろラッキー」と思うんは、ついにその「いい大学に入ればいいことがある」神話が壊れそうやなって思うからなんです。いうまでもなく、AIの影響ですよね。もうすでに統計データに出始めてますけど、真っ先に仕事が代替されていってるのは、偏差値が高い人がつきがちな職業なんですよね。これ、僕はすごい象徴的やなと思うんですけど、医師や弁護士も長期的に考えたら相当窮地に立たされるんですよ。だいたい受験って、理系でテストが得意やったら医学部、文系やったら法学部、つまり医者か弁護士になるんが王道なわけやないですか。この両巨頭こそが、将来が見えないっていうすごい状況なわけです。これはごっつい地殻変動やなと。結局、子どもも大人も、いまの社会のなかで、「今は大変でもがんばってれば将来楽になる」っていうフィクションのなかでがんばってるんですよね。「今努力せんと後で困る」っていうのが前提になっとるわけで。これを僕は「成長の物語」って呼んでるんですけど、特に子供に関してはほんまにこれが終わりかかってる。少なくとも「テストの点数」で成長が測れる前提は壊れかかってる。じゃあ、「井上さんは未来のことがわかるんですか」って言われたら、まったくわかんないですよ。いや、もうわかんなすぎる。でも、わかんなすぎるのがむしろ希望やなって。どういうことかというと、少なくともテストでいい点が取れるっていう、めっちゃ狭い意味での知性自体は、これから将来を約束してくれるものではなくなりそうなわけです。で。親がなんで教育をがんばるかって、もちろん子どもへの愛もあるけど、「自分は親として子どもの未来のためにできることを全部してあげた」っていう安心感がほしいみたいなところあるんですね。でも、その未来のために何をしていいか今まったくわからんわけじゃないですか。だからこそ、どの時代の親よりも不安が募るわけですよね。で、この不安が、やっぱりよくないんですよね。少なくとも、「自分は不安から子どもにあれこれやらせようとしがちやな」って自分で認識できてないと、よくない。っていうのも、親だってそんな立派な人間やないですから、あれこれ塾や学校のことを調べたり、そのうえで子供のためを思って勉強をせえよっていうなかで、子供がそれに応えてくれへんかったら、腹立つやないですか。ほんで、不機嫌になるんですよね。その不機嫌の裏には、「自分はこんなに心配してあげてるのに」、っていう思いがあるわけです。でも、実際には「自分はしっかりやることをやった」っていう安心感を得たいっていう側面もあるわけで。やから、僕はこの時代に親にできることは、ごきげんでいることだけやなって思うんですよね。「こんだけ心配してあげてるのに」っていう理由から子どもに「あなたもちゃんと応えてよ」って思ってまうくらいなら、親の側の「こんだけ心配してあげてるのに」っていう気持ちを減らすくらいでちょうどいい。そしたら、その分不機嫌も減ります。もちろん、勉強なんて一切せんでええとか極論をいうつもりもなくて、僕だって宿題みたり勉強教えたりしてますよ。考える基礎みたいなもんはいつになったっていりますからね。でもそっから先のことはまじでわからへん。うちの子が大学生になる頃に、世界がどうなってるかなんてほんまにわからへんわけです。天才にだってわからへん「学歴」っていう言葉がけっこう意味を持った、っていうのが昔話になってる可能性もある。やから、天才ですらわからん状態で、不安からあれもこれもやらすより、好きなようにやらせて、あるいは、無理に何かをやらそうとせんと、自分のなかにある「あんたの将来のためを思って」みたいな気持ちを戒めて、せめてニコニコしてればええんちゃうかなって思うんです。人は不安になるほど、何かをしようとします。それでいて、自分が「不安を原動力」に行動していることから目を逸らしたがります。この時代、不安はどんどん増していきます。未来のわからなさがましてるから当然、ね?それであれば、いっそのこと、義務教育で最低限の足腰だけはしっかり鍛えてもらって、あとは好きにしてもらえばいい。備えあれば憂なしっていうけど、医学部も法学部も安心じゃない現代の教育で、いくら備えたって、憂いはへらんわけです。だから、備えない。もちろんそれは受験戦争的な意味で、ってことで、人間として大事なことはちゃんと教えなあかんとと思ってますよ。でも逆に、人として大事なことだけわかってたらそれ以上親に何もできることはないんじゃないですかね?未来に備えてしかめっつらになるくらいなら、今ニコニコしてようぜって話でした。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想も募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

    17 min
  • 職場で演技するのが辛いです。 | ままならジオ(ままなラジオ) #02

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    16 min
  • 世界は残酷だから美しい | ままならジオ #01

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    15 min
  • ままならジオ、始めます。#0

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者・オンライン読書プログラムの「問い読」主催者である井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▼ お便り(ご質問・ご感想)はこちらからhttps://forms.gle/aGTHHUoh3CZwjgDE7▼ 「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」https://go.toidoku.com/inoue▼ 著書『弱さ考』https://amzn.asia/d/03uqa3kO

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「ままならジオ(ままなラジオ)」は人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者・井上慎平が、哲学や読書を手がかりに、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考えるポッドキャストです。