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2025年5月25日 復活節6主日
神が人間を土の塵によって形づくり、その鼻に息を吹きかけたことによって、人間は生きるものとなったと創世記2章は証言しています。創世記1章で描かれている世界の創造と創世記2章の物語を比較してみると、この言葉がいかに特徴的な響きを持っているのかがわかります。神が世界全体を見渡しながら、一つ一つのものを秩序立て、一つ一つのものをデザインし、この世界を造った姿を描く創世記1章は、大きな建造物を設計し、建設現場の監督をする人のように、神を描いています。その一方で、創世記2章は、神がこの世界に手を伸ばして、土を触り、手を汚しながら、陶芸家のように、人間を形作っているような印象を与えます。神は一人一人の存在を大切に見つめて、じっくりと愛情を込めて、個性豊かに形作ってくださったことをこの物語は伝えようとしています。ただ、それと同時に、土の塵という言葉を用いることによって、人間存在の弱さや儚さに目を向けることも忘れていません。「土の塵」という言葉は、人間を構成する素材を伝えるというよりは、死を思い起こさせる言葉です(詩編90:3参照)。各々に違いがあり、ユニークさがありながら、弱さや儚さや脆さをあわせ持つ。そのようにして造られた人間に、神は息を吹きかけて、命を与えました。それはまるで、これらのことを忘れないようにと、神が伝えているかのようです。神によって土の塵から造られたという、象徴的な事実から目を背けて、私たちはどこかで、自分たちの弱い部分を覆い隠してしまいたくなります。そうやって、いつの間にか、人間の弱さや儚さから目を背けてしまっています。それは、神が私たち一人一人のことを個性的に、愛しさを持って形作ったことを否定するような社会ともいえるでしょう。私たちがお互いに持っている違いや個性やユニークさも、そして、誰もが抱える弱さや儚さも、本来、神によって与えられているものです。そのすべてに神は命の息を吹きかけ、祝福のうちに今も私たちを生かし、日々、歩ませてくださっています。だから私たちは、自分たちのもとにある、違いやユニークさ、弱さや儚さを極端に恐れたり、拒絶したり、ないもののように取り扱う必要はありません。そのすべてに、神は命の息を吹きかけてくださっているのですから。けれども、お互いの違いや弱さが神の息吹に包まれるどころか、人間の悪や罪に晒され、この世界において、命が傷ついていることも事実です。ですから、お互いの違いや弱さを包み込む、神の命の息が、みなさんを通して、この世界に優しく吹き続けますように。
By 小山ナザレン教会2025年5月25日 復活節6主日
神が人間を土の塵によって形づくり、その鼻に息を吹きかけたことによって、人間は生きるものとなったと創世記2章は証言しています。創世記1章で描かれている世界の創造と創世記2章の物語を比較してみると、この言葉がいかに特徴的な響きを持っているのかがわかります。神が世界全体を見渡しながら、一つ一つのものを秩序立て、一つ一つのものをデザインし、この世界を造った姿を描く創世記1章は、大きな建造物を設計し、建設現場の監督をする人のように、神を描いています。その一方で、創世記2章は、神がこの世界に手を伸ばして、土を触り、手を汚しながら、陶芸家のように、人間を形作っているような印象を与えます。神は一人一人の存在を大切に見つめて、じっくりと愛情を込めて、個性豊かに形作ってくださったことをこの物語は伝えようとしています。ただ、それと同時に、土の塵という言葉を用いることによって、人間存在の弱さや儚さに目を向けることも忘れていません。「土の塵」という言葉は、人間を構成する素材を伝えるというよりは、死を思い起こさせる言葉です(詩編90:3参照)。各々に違いがあり、ユニークさがありながら、弱さや儚さや脆さをあわせ持つ。そのようにして造られた人間に、神は息を吹きかけて、命を与えました。それはまるで、これらのことを忘れないようにと、神が伝えているかのようです。神によって土の塵から造られたという、象徴的な事実から目を背けて、私たちはどこかで、自分たちの弱い部分を覆い隠してしまいたくなります。そうやって、いつの間にか、人間の弱さや儚さから目を背けてしまっています。それは、神が私たち一人一人のことを個性的に、愛しさを持って形作ったことを否定するような社会ともいえるでしょう。私たちがお互いに持っている違いや個性やユニークさも、そして、誰もが抱える弱さや儚さも、本来、神によって与えられているものです。そのすべてに神は命の息を吹きかけ、祝福のうちに今も私たちを生かし、日々、歩ませてくださっています。だから私たちは、自分たちのもとにある、違いやユニークさ、弱さや儚さを極端に恐れたり、拒絶したり、ないもののように取り扱う必要はありません。そのすべてに、神は命の息を吹きかけてくださっているのですから。けれども、お互いの違いや弱さが神の息吹に包まれるどころか、人間の悪や罪に晒され、この世界において、命が傷ついていることも事実です。ですから、お互いの違いや弱さを包み込む、神の命の息が、みなさんを通して、この世界に優しく吹き続けますように。