
Sign up to save your podcasts
Or
「邪馬台国論争の新視点」の著者、片岡宏二さんの「邪馬台国=筑紫平野連合説」を伺っています。
先週までの話では説の中心になっている筑紫平野の範囲については、佐賀平野、筑後平野、そして両地区平野、つまり筑前・筑後にまたがる甘木・朝倉・久留米・小郡・浮羽の平野、の三つの平野をいうということでした。
そして、不彌国の推定地については筑紫野市の常松遺跡あたりではないだろうか、ということです。
さらに、魏志倭人伝に記載されている不彌国から投馬国へ至る水行20日、投馬国から邪馬台国へ至る水行10日、陸行1ヵ月という記述は実際は書いてなかったんではないか、といった説です。
片岡さんの本には、ネットワーク化された筑紫平野は、邪馬台国時代にあって、完全ではないが、魏志倭人伝の記述の多くを満たすことから投馬国および邪馬台国の有力候補と考えると書いていらっしゃいます。
今回ははクニについての話から、片岡さんが考える卑弥呼像について伺っています。
Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
「邪馬台国論争の新視点」の著者、片岡宏二さんの「邪馬台国=筑紫平野連合説」を伺っています。
先週までの話では説の中心になっている筑紫平野の範囲については、佐賀平野、筑後平野、そして両地区平野、つまり筑前・筑後にまたがる甘木・朝倉・久留米・小郡・浮羽の平野、の三つの平野をいうということでした。
そして、不彌国の推定地については筑紫野市の常松遺跡あたりではないだろうか、ということです。
さらに、魏志倭人伝に記載されている不彌国から投馬国へ至る水行20日、投馬国から邪馬台国へ至る水行10日、陸行1ヵ月という記述は実際は書いてなかったんではないか、といった説です。
片岡さんの本には、ネットワーク化された筑紫平野は、邪馬台国時代にあって、完全ではないが、魏志倭人伝の記述の多くを満たすことから投馬国および邪馬台国の有力候補と考えると書いていらっしゃいます。
今回ははクニについての話から、片岡さんが考える卑弥呼像について伺っています。
Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices