モノの価値は人それぞれでも、“不忘(わすれず)”という誓願の下で授かったモノには、それ故の付加価値がある訳で、単に他者から譲り受けた代物でも、それこそヲタ界隈での共通認識においての推し活の逸品となれば、見た目は廃棄処分されてもおかしくない様なメモ用紙やチラシ裏でも、歴史的経緯や背景を踏まえると、とんでもない“財宝”に化けるのです。
しかし、そういう部分を見ず、現在進行形の価値のみに惑わされ、金銭取引の目的のみで語るのは、愚の骨頂であり、提供してくれた方に対しても、非常に失礼な態度です。つまり、そこに自分の思い入れがあればある程、失った瞬間のショックは大きいし、守りきれなかったという罪の意識に苛まれる事になります。推し活の本質こそ、正に“不忘の誓い”という修行でもあり、その戒律を破る事は、新しいことを始める為の断捨離であり、区切りとして受け入れないといけない“罪の重さ”でもあるのです。
逆に、金銭的な価値にしか興味がない人には、どんなに贅沢な時間の過ごし方や高品質な素材の衣服、安全装置フル装備なEVカー等を与えたとしても、真の価値が理解できぬまま使い潰すのみで、故に“モッタイナイ”の本質もわからず、無駄にする訳です。