私達は言葉を、どんなことに最も多く使用しているかというと、噂話の類でしょう。学校でも職場でもテレビでも、ゴシップほど盛り上がり、人間に快感を与えるものはないのかもしれません。一説に、この快感が私たちの祖先の脳に、クジラなどの高い知能を持つ動物や、ネアンデルタールのような他の人類種を圧倒する、認知革命を引き起こしたと考えられています。噂話が人間に語る力を与え、記号と情報の世界を発展させたのです。
7万年前のアフリカで起きたとされるこの認知革命と器用な手指により、サピエンスは先行したどの人類種よりも、更に多くの道具を作ることができるようになります。しかし、この革命が持つそれ以上に大きな意義は、自然界には存在しない存在、つまり虚構を語ることができるようになったことです。
自然界に存在しない存在としては、例えば霊魂や神々や半獣神の物語が挙げられますが、民族や国家、権利や義務、正義と悪といった概念も自然界には無いものです。過去・現在・未来といった時間の流れも、自然界にあるのは今この瞬間だけですから、虚構と言えます。万有引力の法則や相対性理論も見たり触れたりできないという意味で虚構です。私たちの文明を支える様々な概念は、自然界には存在しない虚構であり、人間はその虚構の共通認識を前提に、見ず知らずの他人同士でも集団として協力し合える社会を形成しているのです。もちろん、それを逆手にとって他人を騙す人たちもいますが、そうした嘘と虚構は別のものです。
アリやミツバチの群れは遺伝情報を数世代で共有しますが、それは同じ巣の近親者同士に限定されています。オオカミやチンパンジーなどの動物も群れを作りますが、実際に触れあう少数のごく親密な個体同士でなければなりません。実際に触れ合うことで上下関係のある組織化された社会を形成する場合、集団の大きさには限界があり、100頭を超す群れを動物学者が観察する例はごくわずかです。
認知革命によりサピエンスは、噂話の助けでずっと大きな集団の形成が可能になりますが、そこにも限界はあり、噂話でまとまることのできる集団はせいぜい150人だと言われています。今日でも、軍隊の中隊や中小企業は、互いに噂し合える規模では機能的な関係を維持しますが、150人を超えるとそうはいきません。
人類が数千数万人の軍隊や企業を運営し、数百万数千万人の都市や国家で秩序を維持できるようになったのは、神や人権、法や正義、国民や貨幣といった、自然界には存在しないものの存在、虚構を一緒に信じることができたからなのです。