小山ナザレン教会

神が世界に愛を示した方法(稲葉基嗣) – ヨハネ 3:11–21


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2024年3月10日 四旬節第4主日
説教題:神が世界に愛を示した方法
聖書:ヨハネによる福音書 3:11–21、民数記 21:4–9、エフェソの信徒への手紙 2:1–10、詩編 98
説教者:稲葉基嗣
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3章1節から始まるニコデモとイエスさまの会話の流れの中で、
16節の言葉を読む時、わたしはそのたびに、いつも混乱させられます。
ニコデモはいつの間にか姿を消し、イエスさまのひとり語りが始まるからです。
その上、どこまでがイエスさまの言葉で、どこからが著者の言葉かもわかりません。
それはまるで、著者とイエスさまの言葉が入り混じっている状態です。
イエスさまがニコデモに語っているように見えて、
実は、著者が読者に向かって語っているように見えます。
それと同時に、ニコデモが物語から姿を消してしまったため、
イエスさまがまるで著者の手を借りて、読者に語りかけているようにも見えます。
ニコデモとイエスさまの会話を遠くの方から見るのではなく、
今まさにあなたに語りかけている言葉として、キリストの言葉を受け取ってほしい。
そのように願ったからこそ、著者はこのような方法を用いたのでしょう。
著者が伝えるイエスさまの言葉は、神が世を愛されたということです。
「世」は、神が造られた世界全体や、そこに住むすべての人びとを指す言葉です。
けれども、福音書の後半に向かうにしたがって、
この「世」という言葉には、否定的な意味合いが込められていきます。
イエスさまを認めず、拒絶し、イエスさまやイエスさまを信じる人たちを憎み、
敵対する人たちのことを「世」と、著者ヨハネは福音書の後半で呼び始めます。
神が愛そうと決断した世界が、どのようなものなのかを
ヨハネはその現実を直視し、受け止めながら、神は世を愛したと伝えています。
神が愛した世とは、イエスさまに敵対し、神の子の命を奪うような世界です。
傷ついているのは、何もイエスさまだけではないことは、誰もが知っています。
この世界はイエスさまの命を傷つけ、奪うだけでなく、
すべての人の命の豊かさを傷つけ、奪っています。
平和よりも争いを作り出してしまう、このわたしこそ、その世界の一員です。
このような世界で生き、このような世界を作り出してしまっているわたしたちを
神は見捨てずに、愛してくださっています。
その愛を示すために神が取った方法は、
神が人となって、わたしたちと共に生きることでした。
なぜ神は、自らを危険にさらすような決断をしたのでしょうか。
それは、命を奪い合うことが当たり前になってしまった世界で、
傷つき、涙を流し、叫び声を上げている人びとと神が出会うためです。
命を蔑ろにする世界に、豊かな命の息吹をもたらすために、
イエスさまは、傷ついているこの世界に、わたしたちのもとに来てくださいました。
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