小山ナザレン教会

神は、その名を呼び続ける(稲葉基嗣) – ヨハネ 10:1–6


Listen Later

2025年10月12日 三位一体後第17主日

説教題:神は、その名を呼び続ける

聖書: ヨハネによる福音書 10:1–6、イザヤ書 45:1–8、詩編 19、コリントの信徒への手紙 一 1:4–9

説教者:稲葉基嗣

 

-----

イエスさまは、羊と羊飼いの関係を伝えるたとえ話を人々に語り始めました。自分たちにとって、大切な声に耳を澄ます羊たちの姿が描かれています。このようなことを描くたとえ話として、イエスさまのこの話に耳を傾けるならば、私たちは日々、一体どんな声に耳を傾けているのかと考えさせられます。朝起きてから、夜眠るまで、たくさんの声、様々な音が私たちの耳には届きます。次から次へと新しい情報が押し寄せてきます。息つく暇もありません。このような、注意を引く文化の中で今、私たちは生きています。色々なものに注意を向けるようにと四方八方から、常に呼びかけられます。そんな社会の中で、私たちは一体どれほど、大切な声や言葉に耳を傾けることができているのだろうかと、考えさせられます。あの羊たちと同じように、今、自分たちが耳を傾けるべき、大切な声や言葉を聞き分けることができているのでしょうか。私たちはいつも様々な声に晒され、あちこち様々なものに注意を奪われています。けれども、神は諦めずに私たちを見つめ、私たちの名前を呼び続けておられます。神は私たち一人ひとりのあらゆる特徴をよく知って、愛情をもって、私たちの名前を呼んでくださっています。私たちが神に注意を向けるよりも前に、神の方が私たちにその目を注ぎ、私たちに愛情をもって、注意を払ってくださっているのです。私たちに対する神の注目が私たちにとって最も明らかになる瞬間のひとつが、毎週繰り返されている礼拝の時ではないでしょうか。神が私たちを招いてくださっている礼拝は、色々なものに注意を払うようにと要求される日常から離れて、神に心を向けるようにと招かれる瞬間です。様々なものに注意を奪われているがために、神や共に生きる人たちの言葉を、いや自分自身が心に抱く言葉さえも、うまく受け止めきれない私たちがいます。そんな現代文化の中で傷ついてしまっている私たちを神は礼拝を通して、その傷ついた部分を少しずつ回復しようとしてくださっているかのようです。愛と憐れみを中心に据えて、注意を向けることを神は私たちに促しています。普段様々な形で注意を奪われて、きちんと見つめることができなかった、周囲のものを愛と憐れみの心をもち、注意を払って、じっくりと見つめるようにと、神は私たちの名前を呼びながら、私たちにいつも促しておられます。多くのものが私たちの注意を引き付ける世界で、神が私たちに注意を向けさせ、私たちに大切なこと、必要なことをいつも示し続けてくださっているのです。だから、神の呼びかける声に、耳を傾ける注意深さを私たちはこれからも持ち続けたいと思うのです。

...more
View all episodesView all episodes
Download on the App Store

小山ナザレン教会By 小山ナザレン教会