小山ナザレン教会

神は、わたしたちと共にいることを選んだ(稲葉基嗣) – マタイ 1:18−25


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2023年12月24日 待降節第4主日
説教題:神は、わたしたちと共にいることを選んだ
聖書:マタイによる福音書 1:18−25、イザヤ書 7:13−14、コリントの信徒への手紙 二 4:5−6、詩編 98
説教者:稲葉基嗣
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【説教要旨】
イエスという名前は、「彼は救う」という意味です。何からの救いかというと、具体的に彼らを取り囲んでいた、敵の攻撃や命の危機からの救いであり、安全の保証でした。救い主が生まれるとその誕生を予告された、イエスさまには、軍事的な解放を期待する目が注がれたかもしれません。
けれど、イエスという名前を付けるように伝えた神は、「この子は自分の民を罪から救う」という説明を加えることによって、そういった軍事的な意味を込めてはいないと伝えています。
わたしたち人間の根っこの部分にある悪や罪深さ、それによって引き起こされるさまざまな過ちから、わたしたちを救い出すためにイエス・キリストは生まれたというのが、マタイがこの福音書を通して伝えることです。
神が、どのような形で救いをもたらそうとしたのかは、インマヌエルというイエスさまの呼び名を通して知ることができます。インマヌエルは、「神はわたしたちと共にいる」という意味です。神は、争いで溢れ、人びとの憎しみが終わらない、平和とはかけ離れた現実が広がる世界の中で、キリストにあって、わたしたちと共にいることを選びました。キリストを通して神が共にいてくださることを知った人たちの間で、憎しみや争いが終わりを告げ、愛や憐れみが溢れ、平和が広がっていくことを神は願っています。
そのような願いを抱いて、無抵抗な赤ちゃんのイエスさまを通して、神はこの世界でわたしたちと共にいることを選びました。無抵抗で、力のない、この世界の罪や悪に晒されているわたしたちと共にいてくださる道を、神は選びました。
わたしたちを罪から救い出すために、イエスさまは産まれました。だから、わたしたちは主イエスの誕生に希望を抱き、きょうも主イエスがすべての人と共にいてくださることを喜びます。
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