小山ナザレン教会

神に向かって叫べ(稲葉基嗣) – ヨハネ 6:41–51


Listen Later

2024年9月29日 三位一体後第18主日

説教題:神に向かって叫べ

聖書: ヨハネによる福音書 6:41–51、出エジプト記 16:6–10、詩編 121、コリントの信徒への手紙 一 12:23–27

説教者:稲葉基嗣

 

-----

「ぶつぶつ言う」という意味の単語を一番最初に記すことによって、人びとが不平不満をぶつぶつ呟いていた様子をヨハネは強調しています。彼らはイエスさまに直接、不平や不満を伝えていたのではなく、お互いにイエスさまについての不平不満を共有し、一緒につぶやいていました。彼らのことを簡単に無視することだってできたはずです。それなのに、イエスさまがこのとき、ぶつぶつとお互いに呟き合っている彼らの不平不満をわざわざ拾い、応答しようとしたのはなぜなのでしょうか。パンについての話を始めてから、イエスさまは一貫して、イスラエルの民が荒野を旅したときの経験を思い起こさせようとしています。神が与えるいのちのパンの話をイエスさまがしたときに、お互いにつぶやき合って、不平不満を言っている彼らの姿は、あの当時のイスラエルの民の姿と重なって見えたのでしょう。人びとがぶつぶつと不平を言っているのを聞いた神は、イスラエルの民を憐れみ、彼らを天からのパンであるマナによって養い続けました。彼らの不満は、神に向けられた不満として、神に届いたからです。同じように、わたしたちの不平や不満を神は聞いて、受け止めてくださいます。ですから、神はわたしたちに不平不満を言うなとはいいません。むしろ、叫び声を上げ、その不平不満を届けてほしいと、神は願っておられます。だからこそ、イエスさまはこのとき、お互いにぶつぶつ言うなと語りかけました。イエスさまの話を聞いた彼らが心に抱いた不平や不満、戸惑いや怒りを自分や神にぶつけて欲しかったのでしょう。イスラエルの民がエジプトから解放されたとき、その大きなきっかけとなったのは、イスラエルの民が神に向かって叫んでいたからでした。叫び声を聞いた神はイスラエルの民のために動き、彼らに憐れみを注ぎました。ですから、現状に不平や不満があるならば、神に向かって叫べば良いのです。神の介入を願って、神に叫ぶことこそ、神への信頼の証だからです。ぶつぶつと互いに言い合いたくなることは、いくらでもあります。そんな場所にこそ、わたしたちは神の助けが必要です。不正義や暴力がさまざまなかたちでこの世界に蔓延っていることにどれだけわたしたちは心を痛め、悲しみ、疲弊していることでしょうか。だからこそ、わたしたちの信仰の旅路は、神に向かって叫び続けることが必要です。叫び声を上げたイスラエルの民を救い出し、天からのパンによって彼らを養い続けた神は、叫び声を上げるわたしたちを決して見捨てません。最後まで、その信仰の旅を導いてくださいます。

...more
View all episodesView all episodes
Download on the App Store

小山ナザレン教会By 小山ナザレン教会