1)ダビデは何を持って、巨人ゴリヤテに挑み、勝利を得たのか。
ダビデは、ゴリヤテが「生ける神をそしった」声を聞き、怒りを覚える。そして、ダビデはサウル王に「自分が戦いにいく」ことを言う。ダビデは、サウル王から与えられた、「戦士」になるための武器と防具を捨てる。ダビデは自分自身のことをしっかりと弁えていた。ダビデは無理して「戦士」になり、戦士の戦い方をしない。ダビデは本来の「羊飼い」としての戦い方で挑む。ダビデはゴリヤテ以外にも、背の大きい兵士が四人いることに気付いた(Ⅱサムエル記21:20-22)。ダビデはその四人の大きな兵士も倒すつもりで五つの石を拾った。ゴリヤテを含む五人の大きな兵士全員を「一発」で仕留める心持ちでいた。ダビデの心持ちは、神様に対する絶対的な信頼から出てきていた。「主の戦い」とは、決して人の思いではなく、神様の思いだけが成される戦い。「主の戦い」に必要なのは、神様に対する信頼だけ。ゴリヤテは視力が悪かった。ダビデは、神様に対する信頼を持ち、神様が必ず勝たせてくださることを信じていた。だからこそ、ダビデは冷静にゴリヤテの弱点、目が悪いということを判断できた。それで、ダビデはゴリヤテの額を狙って、石を投げた。目の前にある問題、チャレンジから目を逸らすことなく、しっかりと向き合ったダビデ。神様に信頼する。それはただただ神様だけを頼り、自分自身にできる最善を行い、神様にゆだねていくこと。ダビデは神様に対する信頼だけを持ち、巨人ゴリヤテに挑み、勝利した。そして、神様に対する信頼は周りにも大きな影響を与える。結)この世界で私たちはどのように生きたらいいのか。
私たちは今日のダビデのようにただ神様に対する信頼を持ってこの世界に出ていきたい。そして、この世界ではめちゃくちゃマイナー武器「神様に対する信頼」を握り、神様のことをそしる者に立ち向かいたい。私たちは、神様に対する信頼を持ち、神様だけ思い、「主の戦い」に進み出る者でありたい。