小山ナザレン教会

生ける水はどのように流れるか?(稲葉基嗣) – ヨハネ 4:27−42


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2024年5月5日 復活節第6主日

説教題:生ける水はどのように流れるか?

聖書:ヨハネによる福音書 4:27−42、エゼキエル書 47:1−12、ペトロの手紙 一 3:15–18、詩編 150

説教者:稲葉基嗣


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イエスさまと話し終えたサマリア人女性は、

水がめを井戸のそばに置いて、町へ出て行ってしまいました。


わざわざ人が集まらない暑い時間帯を狙って、井戸に水を汲みに来たのに、

彼女は本来の目的である水汲みは後回しにしました。


そんな彼女の姿を通して、彼女に何やら大きな変化が訪れたことがわかります。


彼女が向かった先は、彼女がこれまで避けていた、人が集まる公共の場所です。


この時の彼女の行動は、文化的にも信じられないものでした。


彼女が町で人びとが集まるような公共の場所へ出て行ったのであれば、

そこは基本的に、男性たちが交流を持つ場所でした。


公共の場で女性が男性と話すことは避けられた文化で彼女は生活していました。


そのような文化の中で、彼女はイエスさまと出会ったことを人びとに伝えました。


イエスさまは彼女のこれまでの傷つき、苦しんだ経験を知っておられました。


そして、神はイエスさまを通して、彼女に生ける水を与えました。


彼女が心に抱えた傷を癒やし、また再び立ち上がることが出来るように、

神はイエスさまを通して、彼女と出会いました。


そして、彼女に与えられた生ける水は、彼女にとって、

個人的なものとして彼女の内側に留まるものではありませんでした。


彼らの文化において、生ける水とは、絶えず流れている水です。


彼女の中で神から与えられる生ける水が絶えず流れ続けるならば、

その水が溢れ出すのは、もはや時間の問題です。


生ける水は、彼女の周囲に流れ始めます。彼女は町へ出て行きました。


女性と男性が公の場で関わることが難しい、文化的な壁や

サマリア人たちとユダヤ人の間にある敵意や民族的な溝を越えて、

生ける水は彼らのもとに届きました。


サマリアの女性の姿を通して、神からわたしたちに与えられている恵みは、

決して自分たちだけのためにあるわけではないことに気付かされます。


神から注がれる水は生ける水をわたしたちの間にだけにとどめて、

流れないままにしておくならば、それは古びた水となってしまいます。


けれども、神から与えられる水がわたしたちの間から外へ流れていくならば、

この水は文化を越え、常識を乗り越え、この世界の渇きを癒していきます。


預言者エゼキエルは、神のもとから流れ出ていく生ける水が

この世界の隅々に行き渡り、いのちを生かしていく希望を描いています。


わたしたちが神から受け取る生ける水をこの世界に分かち合っていくならば、

そんないのちに溢れた未来が広がっていくことを神は約束されているのです。


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