小山ナザレン教会

聖霊はわたしたちに呼応する(稲葉基嗣) – エゼキエル 37:1−14


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2024年5月19日 聖霊降臨祭(ペンテコステ)

説教題:聖霊はわたしたちに呼応する

聖書:エゼキエル書 37:1−14、使徒言行録 2:1−13、ローマの信徒への手紙 8:22−27、詩編 67

説教者:稲葉基嗣


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エゼキエルが最初に目を向けるようにと促すのは、

彼の目の前に広がっていた骨の多さと、その骨が徹底的に枯れていたことです。

そこにいのちの息吹は感じられませんでした。

幻の中で、エゼキエルの目の前に広がっていたあの枯れた骨は、

まさに自分たちの今の現実を象徴するものだと、エゼキエルには思えました。

幻の中で、神はエゼキエルに、骨が生き返る光景を見せました。

でも、神は、エゼキエルが傍観者となることを望みませんでした。

「これらの骨に向かって預言しなさい」(4節)と言って、

神がこれから行うことに、エゼキエル自身にも加わるようにと招きます。

一見、エゼキエルなしでも、この骨が復活するという幻は成立したように見えます。

けれども、エゼキエルが関わることは、神にとって欠けてはならないことでした。

エゼキエルが、骨に語りかけることから、骨がいのちを取り戻し始めたのですから。

それはまるで、神がこの世界に手を伸ばすためには、わたしたちの働きが

必要であることを伝え、わたしたちを招いているかのようです。

預言者エゼキエルが預言したとき、地響きが起こり、骨と骨がくっつき、

筋や出来上がり、肉や皮膚が骨を覆いました。

けれど、その身体は命を吹き返しませんでした。その中に霊がなかったからです。

そのため、エゼキエルは神の霊に向かって語りかけました。

この言葉に神の霊が応え、いのちの風が吹き入れられることによって、

骨に再び命が与えられ、死で溢れる場所が、命に溢れる場所に変えられました。

この幻は、いのちを感じられず、わたしたちが諦めてしまうような場所に、

神がわたしたちを通して働きかけてくださることの象徴です。

それは、神がわたしたちに与えてくださった、聖霊によって引き起こされます。

わたしたちの語る言葉や行動に応えるように、呼応するように、

聖霊は命の息吹を引き起こしてくださると、この幻はわたしたちに伝えています。

死の力が広がり、わたしたちが諦めてしまうときにこそ、神は聖霊によって

わたしたちの歩みに伴い、命の息をこの世界に吹きかけてくださいます。

それを信じ、受け止め、言葉を紡ぎ、行動を起こすことがわたしたちには出来ると、

この預言者が見た幻はわたしたちに語りかけています。

預言者エゼキエルの見た幻は、

そのような自由で、大胆な神の霊の働きをわたしたちに証言し続けています。

ですから、ペンテコステのきょう、わたしたちは願います。

「神が手を伸ばしたい場所に、わたしたちを連れて行ってください。」

「神が命の息吹を届けたいところで、どうかわたしたちを用いてください」と。

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