小山ナザレン教会

思い出すことは、希望を見つめること(稲葉基嗣) – ルカ 23:50–24:12


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2024年3月31日 復活の主日(イースター)

説教題:思い出すことは、希望を見つめること

聖書:ルカによる福音書 23:50−24:12、イザヤ書 44:21−23、コリントの信徒への手紙 一 15:1−6、詩編 8

説教者:稲葉基嗣


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日曜日の朝早くに、イエスさまの遺体に塗るための香料を持って、

女性たちがイエスさまの遺体がおさめられたお墓のもとにやって来ました。


イエスさまが十字架にかけられて、十字架の上で息を引き取ってから、

この日で3日目になるため、彼女たちは、イエスさまのからだに

香料を塗ることによって、遺体が放つ臭いを和らげようとしました。


けれども、お墓に到着した彼女たちは、その目的を果たすことができませんでした。


彼女たちが思い描いていたものとは、まったく違う光景がそこにあったからです。


お墓におさめられていたイエスさまの身体は、どこにも見当たらなかったからです。


まるで、イエスさまの死をきちんと受け止める機会を奪われているかのようです。


彼女たちにとって、お墓はイエスさまの死を象徴するものでした。


また、彼女たちにとって、空っぽのお墓は、死を象徴することさえできない、

悲しみや喪失の感情の行き場をなくすものになってしまいました。


そんな彼女たちにとって、二人の人が語りかけた言葉を通して(24:5−6)、

空っぽのお墓は、ふたつのことを象徴するものへと変えられました。


それは、主イエスが確かに死んだことと、主イエスが確かによみがえったことです。


彼女たちの中で、このお墓の意味が劇的に変わったのは、

彼女たちが、「思い出しなさい」という呼びかけに耳を傾けたからです。


わたしたちは、あまりにも簡単に希望のない方へと心を押し流されてしまいます。


特に、イエスさまが復活したという知らせをわたしたちが忘れるならば、

お墓は、わたしたちを過去の思い出へと置き去りにするものとなるでしょう。


お墓は、死が最終的な勝利者であることを宣言する場所となってしまうでしょう。


けれども、イエスさまが復活したことを思い出しなさいと、

わたしたちに語りかける、神の声を聞くならば、

お墓は、復活の希望を証言する場所へと変えられます。


十字架の上で死んだイエスさまが、死に勝利され、復活したように、

神が復活のいのちを与えてくださるという希望を告げる場所へと変わります。


神はわたしたちが思い出すよりも前に、わたしたちに目を留め、

わたしたちを思い出し続けてくださるからです。


神がわたしたちを目に留め続け、思い出し続けてくださるから、

わたしたちと神との関係は、死によって消え去るものではありません。


ですから、復活の主であるキリストを思い出すならば、

お墓は、そんな希望を思い起こす場所へと、変えられていきます。


わたしたちに復活の希望を見つめさせるために、

神はきょうも、わたしたちに「思い出しなさい」と語りかけておられます。

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