小山ナザレン教会

私たちの働き方改革(稲葉基嗣) – 創世記 2:4–17


Listen Later

2025年6月1日 復活節7主日

説教題:私たちの働き方改革

聖書: 創世記 2:4–17、マタイによる福音書 28:16–20、詩編 127、コリントの信徒への手紙 一 3:1–9

説教者:稲葉基嗣

 

-----

労働という観点から読むならば、創世記2章は人間について、園を耕し、守るようにと、神によって園に置かれた存在として、描いています。古代世界において、人間は神々が嫌がる、重く、退屈な労働を代わりに行う存在として創造されたと、理解されていました。また、それに加えて、神々に食べ物を届け、神々を養うのも人間の役目でした。そのような人間理解が当たり前であった古代世界に向かって、創世記は、「違う」「そうではない」と宣言しています。むしろ、神が創造されたこの世界を神と共に維持・管理し、豊かな命をこの世界において保つために、神に必要とされて、人間は神によって造られました。人間の働きとして紹介されている、「耕す(ヘブライ語では仕える)」と「守る」は、神殿で働く祭司の働きに対して用いられることが多い単語です。無秩序が侵入しないように、聖なる場所を維持することが祭司の役割でした。そんな祭司たちのように、私たち人間はこの世界で生きるようにと、神から招かれていると、創世記の物語は伝えようとしています。私たちがこの世界で担うどのような仕事も、どのような日常的な営みも、神が造られた良い世界を良いものとして保つための、重要な働きなのです。もちろん、善意を持って、全力で私たちが自分たちの仕事に取り組んだとしても、私たちの働きには綻びや不完全さがあることでしょう。誰も完璧な人間などいませんので、それは当然のことです。だからこそ、私たちは自分が神のようにこの世界に働きかけるわけではなく、あくまでも神の協力者であることを自覚する必要があります。その意味で、神が園に善悪の知識の木を置き、その実を食べることを禁じたのは、私たちが自分の理想ばかりを求め、自分の知恵のみを振り絞って、奮闘する必要がないことを伝えるためだったのではないでしょうか。知恵の源である神に信頼を抱きながら、私たちは働き続ける必要があります。私たちが日々過ごす場所で、手入れが必要な場所は一体どこなのでしょうか。天のみ国を目指して旅をする、私たちにとっての働き方改革はきっと、そんな風に問いかけることから始まります。神が造られたこの世界において、具体的には、私たちを取り囲む日常において、私たちが神と共にこの世界を維持、管理し、回復を目指すべき場所はどこなのだろうか、という問いかけです。創世記が私たちに促す働き方改革は、傷ついたこの世界を少しでも良いものへと回復することができるという希望を決して捨てずに、私たちが日々の働きに取り組むことです。

...more
View all episodesView all episodes
Download on the App Store

小山ナザレン教会By 小山ナザレン教会