本の朗読

太宰治ー斜陽12


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焼け死ぬる思い。苦しくとも、苦しと一言、半句、叫び得ぬ、古来、未曾有、人の世はじまって以来、前例も無き、底知れぬ地獄の気配を、ごまかしなさんな。


 思想? ウソだ。主義? ウソだ。理想? ウソだ。秩序? ウソだ。誠実? 真理? 純粋? みなウソだ。牛島の藤は、樹齢千年、熊野の藤は、数百年と称えられ、その花穂の如きも、前者で最長九尺、後者で五尺余と聞いて、ただその花穂にのみ、心がおどる。


 アレモ人ノ子。生キテイル。


 論理は、所謂、論理への愛である。生きている人間への愛では無い。


 金と女。論理は、はにかみ、そそくさと歩み去る。


 歴史、哲学、教育、宗教、法律、政治、経済、社会、そんな学問なんかより、ひとりの処女の微笑が尊いというファウスト博士の勇敢なる実証。


 学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である。



 ゲエテにだって誓って言える。僕は、どんなにでも巧く書けます。一篇の構成あやまたず、適度の滑稽こ、読者の眼のうらを焼く悲哀、若しくは、粛然、

所謂いわゆる襟を正さしめ、完璧のお小説、朗々音読すれば、これすなわち、スクリンの説明か、はずかしくって、書けるかっていうんだ。どだいそんな、傑作意識が、ケチくさいというんだ。小説を読んで襟を正すなんて、狂人の所作である。そんなら、いっそ、羽織袴でせにゃなるまい。よい作品ほど、取り澄ましていないように見えるのだがなあ。僕は友人の心からたのしそうな笑顔を見たいばかりに、一篇の小説、わざとしくじって、下手くそに書いて、尻餅ついて頭かきかき逃げて行く。ああ、その時の、友人のうれしそうな顔ったら!


 文いたらず、人いたらぬ風情、おもちゃのラッパを吹いてお聞かせ申し、ここに日本一の馬鹿がいます、あなたはまだいいほうですよ、健在なれ! と願う愛情は、これはいったい何でしょう。


 友人、したり顔にて、あれがあいつの悪い癖、惜しいものだ、と御述懐。愛されている事を、ご存じ無い。


 不良でない人間があるだろうか。


 味気ない思い。


 金が欲しい。


 さもなくば、


 眠りながらの自然死!



 薬屋に千円ちかき借金あり。きょう、質屋の番頭をこっそり家へ連れて来て、僕の部屋へとおして、何かこの部屋に目ぼしい質草ありや、あるなら持って行け、火急に金が要る、と申せしに、番頭ろくに部屋の中を見もせず、およしなさい、あなたのお道具でもないのに、とぬかした。よろしい、それならば、僕がいままで、僕のお小遣い銭で買った品物だけ持って行け、と威勢よく言って、かき集めたガラクタ、質草の資格あるしろもの一つも無し。


 まず、片手の石膏像。これは、ヴィナスの右手。ダリヤの花にも似た片手、まっしろい片手、それがただ台上に載っているのだ。けれども、これをよく見ると、これはヴィナスが、その全裸を、男に見られて、あなやの驚き、含羞旋風、裸身むざん、薄くれない、残りくまなき、かッかッのほてり、からだをよじってこの手つき、そのようなヴィナスの息もとまるほどの裸身のはじらいが、指先に指紋も無く、掌に一本の手筋もない純白のこのきゃしゃな右手に依って、こちらの胸も苦しくなるくらいに哀れに表情せられているのが、わかる筈だ。けれども、これは、所謂、非実用のガラクタ。番頭、五十銭と値踏みせり。


 その他、パリ近郊の大地図、直径一尺にちかきセルロイドの独楽、糸よりも細く字の書ける特製のペン先、いずれも掘出物のつもりで買った品物ばかりなのだが、番頭笑って、もうおいとま致します、と言う。待て、と制止して、結局また、本を山ほど番頭に背負わせて、金五円也を受け取る。僕の本棚の本は、ほとんど廉価の文庫本のみにして、しかも古本屋から仕入れしものなるに依って、質の値もおのずから、このように安いのである。


 千円の借銭を解決せんとして、五円也。世の中に於ける、僕の実力、おおよそかくの如し。笑いごとではない。



 デカダン? しかし、こうでもしなけりゃ生きておれないんだよ。そんな事を言って、僕を非難する人よりは、死ね! と言ってくれる人のほうがありがたい。さっぱりする。けれども人は、めったに、死ね! とは言わないものだ。ケチくさく、用心深い偽善者どもよ。


 正義? 所謂階級闘争の本質は、そんなところにありはせぬ。人道? 冗談じゃない。僕は知っているよ。自分たちの幸福のために、相手を倒す事だ。殺す事だ。死ね! という宣告でなかったら、何だ。ごまかしちゃいけねえ。


 しかし、僕たちの階級にも、ろくな奴がいない。白痴、幽霊、守銭奴、狂犬、ほら吹き、ゴザイマスル、雲の上から小便。


 死ね! という言葉を与えるのさえ、もったいない。



 戦争。日本の戦争は、ヤケクソだ。


 ヤケクソに巻き込まれて死ぬのは、いや。いっそ、ひとりで死にたいわい。



 人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。この頃の、指導者たちの、あの、まじめさ。ぷ!



 人から尊敬されようと思わぬ人たちと遊びたい。


 けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。



 僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。


 どうも、くいちがう。



 結局、自殺するよりほか仕様がないのじゃないか。


 このように苦しんでも、ただ、自殺で終るだけなのだ、と思ったら、声を放って泣いてしまった。



 春の朝、二三輪の花の咲きほころびた梅の枝に朝日が当って、その枝にハイデルベルヒの若い学生が、ほっそりと縊れて死んでいたという。



「ママ! 僕を叱って下さい!」


「どういう工合いに?」


「弱虫! って」


「そう? 弱虫。……もう、いいでしょう?」


 ママには無類のよさがある。ママを思うと、泣きたくなる。ママへおわびのためにも、死ぬんだ。



 オユルシ下サイ。イマ、イチドダケ、オユルシ下サイ。



年々や
めしいのままに
鶴つるのひな
育ちゆくらし
あわれ 太るも      (元旦がんたん試作)


 モルヒネ アトロモール ナルコポン パントポン パビナアル パンオピン アトロピン



 プライドとは何だ、プライドとは。


 人間は、いや、男は、(おれはすぐれている)(おれにはいいところがあるんだ)などと

思わずに、生きて行く事が出来ぬものか。


 人をきらい、人にきらわれる。


 ちえくらべ。



 厳粛=

阿呆感あほうかん



 とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているに違いないのさ。



 或る借銭申込みの手紙。


「御返事を。


 御返事を下さい。


 そうして、それが必ず快報であるように。


 僕はさまざまの屈辱を思い設けて、ひとりで呻いています。


 芝居をしているのではありません。絶対にそうではありません。


 お願いいたします。


 僕は恥ずかしさのために死にそうです。


 誇張ではないのです。


 毎日毎日、御返事を待って、夜も昼もがたがたふるえているのです。


 僕に、砂を噛ませないで。


 壁から忍び笑いの声が聞えて来て、深夜、床の中で輾転しているのです。


 僕を恥ずかしい目に逢わせないで。


 姉さん!」



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本の朗読By 前川工作室


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