本の朗読

太宰治ー斜陽16


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 私は、ことしの夏、或る男のひとに、三つの手紙を差し上げたが、ご返事は無かった。どう考えても、私には、それより他に生き方が無いと思われて、三つの手紙に、私のその胸のうちを書きしたため、岬の尖端から怒濤めがけて飛び下りる気持で、投函したのに、いくら待っても、ご返事が無かった。弟の直治に、それとなくそのひとの御様子を聞いても、そのひとは何の変るところもなく、毎晩お酒を飲み歩き、いよいよ不道徳の作品ばかり書いて、世間のおとなたちに、ひんしゅくせられ、憎まれているらしく、直治に出版業をはじめよ、などとすすめて、直治は大乗気で、あのひとの他にも二、三、小説家のかたに顧問になってもらい、資本を出してくれるひともあるとかどうとか、直治の話を聞いていると、私の恋しているひとの身のまわりの雰囲気に、私の匂いがみじんも滲み込んでいないらしく、私は恥ずかしいという思いよりも、この世の中というものが、私の考えている世の中とは、まるでちがった別な奇妙な生き物みたいな気がして来て、自分ひとりだけ置き去りにされ、呼んでも叫んでも、何の手応えの無いたそがれの秋の曠野に立たされているような、これまで味わった事のない悽愴の思いに襲われた。これが、失恋というものであろうか。曠野にこうして、ただ立ちつくしているうちに、日がとっぷり暮れて、夜露にこごえて死ぬより他は無いのだろうかと思えば、涙の出ない慟哭で、両肩と胸が烈しく浪打ち、息も出来ない気持になるのだ。

 もうこの上は、何としても私が上京して、上原さんにお目にかかろう、私の帆は既に挙げられて、港の外に出てしまったのだもの、立ちつくしているわけにゆかない、行くところまで行かなければならない、とひそかに上京の心支度をはじめたとたんに、お母さまの御様子が、おかしくなったのである。

 一夜、ひどいお咳が出て、お熱を計ってみたら、三十九度あった。

「きょう、寒かったからでしょう。あすになれば、なおります」

 とお母さまは、咳き込みながら小声でおっしゃったが、私には、どうも、ただのお咳ではないように思われて、あすはとにかく下の村のお医者に来てもらおうと心にきめた。


翌る朝、お熱は三十七度にさがり、お咳もあまり出なくなっていたが、それでも私は、村の先生のところへ行って、お母さまが、この頃にわかにお弱りになったこと、ゆうべからまた熱が出て、お咳も、ただの風邪のお咳と違うような気がすること等を申し上げて、御診察をお願いした。

 先生は、ではのちほど伺いましょう、これは到来物でございますが、とおっしゃって応接間の隅の戸棚から梨を三つ取り出して私に下さった。そうして、お昼すこし過ぎ、白絣に夏羽織をお召しになって診察にいらした。れいの如く、ていねいに永い事、聴診や打診をなさって、それから私のほうに真正面に向き直り、

「御心配はございません。おくすりを、お飲みになれば、なおります」

 とおっしゃる。

 私は妙に可笑しく、笑いをこらえて、

「お注射は、いかがでしょうか」

 とおたずねすると、まじめに、

「その必要は、ございませんでしょう。おかぜでございますから、しずかにしていらっしゃると、間もなくおかぜが抜けますでしょう」

 とおっしゃった。

 けれども、お母さまのお熱は、それから一週間経っても下らなかった。咳はおさまったけれども、お熱のほうは、朝は七度七分くらいで、夕方になると九度になった。お医者は、あの翌日から、おなかをこわしたとかで休んでいらして、私がおくすりを頂きに行って、お母さまのご容態の思わしくない事を看護婦さんに告げて、先生に伝えていただいても、普通のお風邪で心配はありません、という御返事で、水薬と散薬をくださる。

 直治は相変らずの東京出張で、もう十日あまり帰らない。私ひとりで、心細さのあまり和田の叔父さまへ、お母さまの御様子の変った事を葉書にしたためて知らせてやった。

 発熱してかれこれ十日目に、村の先生が、やっと腹工合いがよろしくなりましたと言って、診察しにいらした。

 先生は、お母さまのお胸を注意深そうな表情で打診なさりながら、

「わかりました、わかりました」

 とお叫びになり、それから、また私のほうに真正面に向き直られて、

「お熱の原因が、わかりましてございます。左肺に浸潤を起しています。でも、ご心配は要りません。お熱は、当分つづくでしょうけれども、おしずかにしていらっしゃったら、ご心配はございません」

 とおっしゃっる。

 そうかしら? と思いながらも、溺れる者の藁にすがる気持もあって、村の先生のその診断に、私は少しほっとしたところもあった。

 お医者がお帰りになってから、

「よかったわね、お母さま。ほんの少しの浸潤なんて、たいていのひとにあるものよ。お気持を丈夫にお持ちになっていさえしたら、わけなくなおってしまいますわ。ことしの夏の季候不順がいけなかったのよ。夏はきらい。かず子は、夏の花も、きらい」

 お母さまはお眼をつぶりながらお笑いになり、

「夏の花の好きなひとは、夏に死ぬっていうから、私もことしの夏あたり死ぬのかと思っていたら、直治が帰って来たので、秋まで生きてしまった」

 あんな直治でも、やはりお母さまの生きるたのみの柱になっているのか、と思ったら、つらかった。

「それでも、もう夏がすぎてしまったのですから、お母さまの危険期も峠を越したってわけなのね。お母さま、お庭の萩が咲いていますわ。それから、女郎花、われもこう、桔梗、かるかや、芒。お庭がすっかり秋のお庭になりましたわ。十月になったら、きっとお熱も下るでしょう」

 私は、それを祈っていた。早くこの九月の、蒸暑い、謂わば残暑の季節が過ぎるといい。そうして、菊が咲いて、うららかな小春日和がつづくようになると、きっとお母さまのお熱も下ってお丈夫になり、私もあのひとと逢えるようになって、私の計画も大輪の菊の花のように見事に咲き誇る事が出来るかも知れないのだ。ああ、早く十月になって、そうしてお母さまのお熱が下るとよい。

 和田の叔父さまにお葉書を差し上げてから、一週間ばかりして、和田の叔父さまのお取計いで、以前侍医などしていらした三宅さまの老先生が看護婦さんを連れて東京から御診察にいらして下さった。

 老先生は私どもの亡くなったお父上とも御交際のあった方なので、お母さまは、たいへんお喜びの御様子だった。それに、老先生は昔からお行儀が悪く、言葉遣いもぞんざいで、それがまたお母さまのお気に召しているらしく、その日は御診察など、そっちのけで何かとお二人で打ち解けた世間話に興じていらっしゃった。私がお勝手で、プリンをこしらえて、それをお座敷に持って行ったら、もうその間に御診察もおすみの様子で、老先生は聴診器をだらしなく頸飾りみたいに肩にひっかけたまま、お座敷の廊下の籐椅子に腰をかけ、

「僕などもね、屋台にはいって、うどんの立食いでさ。うまいも、まずいもありゃしません」

 と、のんきそうに世間話をつづけていらっしゃる。お母さまも、何気ない表情で天井を見ながら、そのお話を聞いていらっしゃる。なんでも無かったんだ、と私は、ほっとした。

「いかがでございました? この村の先生は、胸の左のほうに浸潤があるとかおっしゃっていましたけど?」

 と私も急に元気が出て、三宅さまにおたずねしたら、老先生は、事もなげに、

「なに、大丈夫だ」

 と軽くおっしゃる。

「まあ、よかったわね、お母さま」

 と私は心から微笑して、お母さまに呼びかけ、

「大丈夫なんですって」

 その時、三宅さまは籐椅子から、つと立ち上って支那間のほうへいらっしゃった。何か私に用事がありげに見えたので、私はそっとその後を追った。

 老先生は支那間の壁掛の蔭に行って立ちどまって、

「バリバリ音が聞えているぞ」

 とおっしゃった。

「浸潤では、ございませんの?」

「違う」

「気管支カタルでは?」

 私は、もはや涙ぐんでおたずねした。

「違う」


結核テーベ

! 私はそれだと思いたくなかった。肺炎や浸潤や気管支カタルだったら、必ず私の力でなおしてあげる。けれども、結核だったら、ああ、もうだめかも知れない。私は足もとが、崩れて行くような思いをした。

「音、とても悪いの? バリバリ聞えてるの?」

 心細さに、私はすすり泣きになった。

「右も左も全部だ」

「だって、お母さまは、まだお元気なのよ。ごはんだって、おいしいおいしいとおっしゃって、……」

「仕方がない」

「うそだわ。ね、そんな事ないんでしょう? バタやお卵や、牛乳をたくさん召し上ったら、なおるんでしょう? おからだに抵抗力さえついたら、熱だって下るんでしょう?」

「うん、なんでも、たくさん食べる事だ」

「ね? そうでしょう? トマトも毎日、五つくらいは召し上っているのよ」

「うん、トマトはいい」

「じゃあ、大丈夫ね? なおるわね?」

「しかし、こんどの病気は命取りになるかも知れない。そのつもりでいたほうがいい」

 人の力で、どうしても出来ない事が、この世の中にたくさんあるのだという絶望の壁の存在を、生れてはじめて知ったような気がした。

「二年? 三年?」

 私は震えながら小声でたずねた。

「わからない。とにかくもう、手のつけようが無い」

 そうして、三宅さまは、その日は伊豆の長岡温泉に宿を予約していらっしゃるとかで、看護婦さんと一緒にお帰りになった。門の外までお見送りして、それから、夢中で引返してお座敷のお母さまの枕もとに坐り、何事も無かったように笑いかけると、お母さまは、

「先生は、なんとおっしゃっていたの?」

 とおたずねになった。

「熱さえ下ればいいんですって」

「胸のほうは?」

「たいした事もないらしいわ。ほら、いつかのご病気の時みたいなのよ、きっと。いまに涼しくなったら、どんどんお丈夫になりますわ」

 私は自分の嘘を信じようと思った。命取りなどというおそろしい言葉は、忘れようと思った。私には、このお母さまが、亡くなるという事は、それは私の肉体も共に消失してしまうような感じで、とても事実として考えられないことだった。これからは何も忘れて、このお母さまに、たくさんたくさんご馳走をこしらえて差し上げよう。おさかな。スウプ。罐詰。レバ。肉汁。トマト。卵。牛乳。おすまし。お豆腐があればいいのに。お豆腐のお味噌汁。白い御飯。お餅。おいしそうなものは何でも、私の持物を皆売って、そうしてお母さまにご馳走してあげよう。

 私は立って、支那間へ行った。そうして、支那間の寝椅子をお座敷の縁側ちかくに移して、お母さまのお顔が見えるように腰かけた。やすんでいらっしゃるお母さまのお顔は、ちっとも病人らしくなかった。眼は美しく澄んでいるし、お顔色も生き生きしていらっしゃる。毎朝、規則正しく起床なさって洗面所へいらして、それからお風呂場の三畳でご自分で髪を結って、身じまいをきちんとなさって、それからお床に帰って、お床にお坐りのままお食事をすまし、それからお床に寝たり起きたり、午前中はずっと新聞やご本を読んでいらして、熱の出るのは午後だけである。

「ああ、お母さまは、お元気なのだ。きっと、大丈夫なのだ」

 と私は、心の中で三宅さまのご診断を強く打ち消した。

 十月になって、そうして菊の花の咲く頃になれば、など考えているうちに私は、うとうとと、うたた寝をはじめた。現実には、私はいちども見た事の無い風景なのに、それでも夢では時々その風景を見て、ああ、またここへ来たと思うなじみの森の中の湖のほとりに私は出た。私は、和服の青年と足音も無く一緒に歩いていた。風景全体が、みどり色の霧のかかっているような感じであった。そうして、湖の底に白いきゃしゃな橋が沈んでいた。

「ああ、橋が沈んでいる。きょうは、どこへも行けない。ここのホテルでやすみましょう。たしか、空いた部屋があった筈だ」

 湖のほとりに、石のホテルがあった。そのホテルの石は、みどり色の霧でしっとり濡れていた。石の門の上に、金文字でほそく、HOTEL SWITZERLAND と彫り込まれていた。SWI と読んでいるうちに、不意に、お母さまの事を思い出した。お母さまは、どうなさるのだろう。お母さまも、このホテルへいらっしゃるのかしら? と不審になった。そうして、青年と一緒に石の門をくぐり、前庭へはいった。霧の庭に、アジサイに似た赤い大きい花が燃えるように咲いていた。子供の頃、お蒲団の模様に、真赤なアジサイの花が散らされてあるのを見て、へんに悲しかったが、やっぱり赤いアジサイの花って本当にあるものなんだと思った。


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本の朗読By 前川工作室


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