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Or
それから、きょうまで、私たち二人きりの山荘生活が、まあ、どうやら事も無く、
安穏あんのん
につづいて来たのだ。部落の人たちも私たちに親切にしてくれた。ここへ引越して来たのは、去年の十二月、それから、一月、二月、三月、四月のきょうまで、私たちはお食事のお支度の他は、たいていお縁側で編物したり、支那間で本を読んだり、お茶をいただいたり、ほとんど世の中と離れてしまったような生活をしていたのである。二月には梅が咲き、この部落全体が梅の花で埋まった。そうして三月になっても、風のないおだやかな日が多かったので、満開の梅は少しも衰えず、三月の末まで美しく咲きつづけた。朝も昼も、夕方も、夜も、梅の花は、
溜息ためいき
の出るほど美しかった。そうしてお縁側の硝子戸をあけると、いつでも花の
匂にお
いがお部屋にすっと流れて来た。三月の終りには、夕方になると、きっと風が出て、私が夕暮の食堂でお茶碗を並べていると、窓から梅の花びらが吹き込んで来て、お茶碗の中にはいって
濡ぬ
れた。四月になって、私とお母さまがお縁側で編物をしながら、二人の話題は、たいてい畑作りの計画であった。お母さまもお手伝いしたいとおっしゃる。ああ、こうして書いてみると、いかにも私たちは、いつかお母さまのおっしゃったように、いちど死んで、違う私たちになってよみがえったようでもあるが、しかし、イエスさまのような復活は、
所詮しょせん
、人間には出来ないのではなかろうか。お母さまは、あんなふうにおっしゃったけれども、それでもやはり、スウプを一さじ吸っては、直治を思い、あ、とお叫びになる。そうして私の過去の
傷痕きずあと
も、実は、ちっともなおっていはしないのである。
ああ、何も一つも包みかくさず、はっきり書きたい。この山荘の安穏は、全部いつわりの、見せかけに過ぎないと、私はひそかに思う時さえあるのだ。これが私たち親子が神さまからいただいた短い休息の期間であったとしても、もうすでにこの平和には、何か不吉な、暗い影が忍び寄って来ているような気がしてならない。お母さまは、幸福をお装いになりながらも、日に日に衰え、そうして私の胸には
蝮まむし
が宿り、お母さまを犠牲にしてまで太り、自分でおさえてもおさえても太り、ああ、これがただ季節のせいだけのものであってくれたらよい、私にはこの頃、こんな生活が、とてもたまらなくなる事があるのだ。蛇の卵を焼くなどというはしたない事をしたのも、そのような私のいらいらした思いのあらわれの一つだったのに違いないのだ。そうしてただ、お母さまの悲しみを深くさせ、衰弱させるばかりなのだ。
恋、と書いたら、あと、書けなくなった。
二
蛇へび
の卵の事があってから、十日ほど経ち、不吉な事がつづいて起り、いよいよお母さまの悲しみを深くさせ、そのお命を薄くさせた。
私が、火事を起しかけたのだ。
私が火事を起す。私の
生涯しょうがい
にそんなおそろしい事があろうとは、幼い時から今まで、一度も夢にさえ考えた事が無かったのに。
お火を粗末にすれば火事が起る、というきわめて当然の事にも、気づかないほどの私はあの
所謂いわゆる
「おひめさま」だったのだろうか。
夜中にお手洗いに起きて、お玄関の
衝立ついたて
の
傍そば
まで行くと、お
風呂場ふろば
のほうが明るい。何気なく
覗のぞ
いてみると、お風呂場の
硝子戸ガラスど
が真赤で、パチパチという音が聞える。小走りに走って行ってお風呂場のくぐり戸をあけ、はだしで外に出てみたら、お風呂のかまどの傍に積み上げてあった
薪まき
の山が、すごい火勢で燃えている。
庭つづきの下の農家に飛んで行き、力一ぱいに戸を
叩たた
いて、
「中井さん! 起きて下さい、火事です!」
と叫んだ。
中井さんは、もう、寝ていらっしゃったらしかったが、
「はい、
直す
ぐ行きます」
と返事して、私が、おねがいします、早くおねがいします、と言っているうちに、
浴衣ゆかた
の寝巻のままでお家から飛び出て来られた。
二人で火の傍に
駈か
け戻り、バケツでお池の水を
汲く
んでかけていると、お座敷の廊下のほうから、お母さまの、ああっ、という叫びが聞えた。私はバケツを投げ捨て、お庭から廊下に上って、
「お母さま、心配しないで、大丈夫、休んでいらして」
と、倒れかかるお母さまを抱きとめ、お寝床に連れて行って寝かせ、また火のところに飛んでかえって、こんどはお風呂の水を汲んでは中井さんに手渡し、中井さんはそれを薪の山にかけたが火勢は強く、とてもそんな事では消えそうもなかった。
「火事だ。火事だ。お別荘が火事だ」
という声が下のほうから聞えて、たちまち四五人の村の人たちが、
垣根かきね
をこわして、飛び込んでいらした。そうして、垣根の下の、用水の水を、リレー式にバケツで運んで、二、三分のあいだに消しとめて下さった。もう少しで、お風呂場の屋根に燃え移ろうとするところであった。
よかった、と思ったとたんに、私はこの火事の原因に気づいてぎょっとした。本当に、私はその時はじめて、この火事騒ぎは、私が夕方、お風呂のかまどの燃え残りの薪を、かまどから引き出して消したつもりで、薪の山の傍に置いた事から起ったのだ、という事に気づいたのだ。そう気づいて、泣き出したくなって立ちつくしていたら、前のお家の西山さんのお嫁さんが垣根の外で、お風呂場が丸焼けだよ、かまどの火の不始末だよ、と
声高こわだか
に話すのが聞えた。
村長の藤田さん、二宮巡査、警防団長の大内さんなどが、やって来られて、藤田さんは、いつものお優しい笑顔で、
「おどろいたでしょう。どうしたのですか?」
とおたずねになる。
「私が、いけなかったのです。消したつもりの薪を、……」
と言いかけて、自分があんまりみじめで、涙がわいて出て、それっきりうつむいて黙った。警察に連れて行かれて、罪人になるのかも知れない、とそのとき思った。はだしで、お寝巻のままの、取乱した自分の姿が急にはずかしくなり、つくづく、落ちぶれたと思った。
「わかりました。お母さんは?」
と藤田さんは、いたわるような口調で、しずかにおっしゃる。
「お座敷にやすませておりますの。ひどくおどろいていらして、……」
「しかし、まあ」
とお若い二宮巡査も、
「家に火がつかなくて、よかった」
となぐさめるようにおっしゃる。
すると、そこへ下の農家の中井さんが、服装を改めて出直して来られて、
「なにね、薪がちょっと燃えただけなんです。ボヤ、とまでも行きません」
と息をはずませて言い、私のおろかな過失をかばって下さる。
「そうですか。よくわかりました」
と村長の藤田さんは二度も三度もうなずいて、それから二宮巡査と何か小声で相談をなさっていらしたが、
「では、帰りますから、どうぞ、お母さんによろしく」
とおっしゃって、そのまま、警防団長の大内さんやその他の方たちと一緒にお帰りになる。
二宮巡査だけ、お残りになって、そうして私のすぐ前まで歩み寄って来られて、呼吸だけのような低い声で、
「それではね、今夜の事は、べつに、とどけない事にしますから」
とおっしゃった。
二宮巡査がお帰りになったら、下の農家の中井さんが、
「二宮さんは、どう言われました?」
と、実に心配そうな、緊張のお声でたずねる。
「とどけないって、おっしゃいました」
と私が答えると、垣根のほうにまだ近所のお方がいらして、その私の返事を聞きとった様子で、そうか、よかった、よかった、と言いながら、ぞろぞろ引上げて行かれた。
中井さんも、おやすみなさい、を言ってお帰りになり、あとには私ひとり、ぼんやり焼けた薪の山の傍に立ち、涙ぐんで空を見上げたら、もうそれは夜明けちかい空の気配であった。
それから、きょうまで、私たち二人きりの山荘生活が、まあ、どうやら事も無く、
安穏あんのん
につづいて来たのだ。部落の人たちも私たちに親切にしてくれた。ここへ引越して来たのは、去年の十二月、それから、一月、二月、三月、四月のきょうまで、私たちはお食事のお支度の他は、たいていお縁側で編物したり、支那間で本を読んだり、お茶をいただいたり、ほとんど世の中と離れてしまったような生活をしていたのである。二月には梅が咲き、この部落全体が梅の花で埋まった。そうして三月になっても、風のないおだやかな日が多かったので、満開の梅は少しも衰えず、三月の末まで美しく咲きつづけた。朝も昼も、夕方も、夜も、梅の花は、
溜息ためいき
の出るほど美しかった。そうしてお縁側の硝子戸をあけると、いつでも花の
匂にお
いがお部屋にすっと流れて来た。三月の終りには、夕方になると、きっと風が出て、私が夕暮の食堂でお茶碗を並べていると、窓から梅の花びらが吹き込んで来て、お茶碗の中にはいって
濡ぬ
れた。四月になって、私とお母さまがお縁側で編物をしながら、二人の話題は、たいてい畑作りの計画であった。お母さまもお手伝いしたいとおっしゃる。ああ、こうして書いてみると、いかにも私たちは、いつかお母さまのおっしゃったように、いちど死んで、違う私たちになってよみがえったようでもあるが、しかし、イエスさまのような復活は、
所詮しょせん
、人間には出来ないのではなかろうか。お母さまは、あんなふうにおっしゃったけれども、それでもやはり、スウプを一さじ吸っては、直治を思い、あ、とお叫びになる。そうして私の過去の
傷痕きずあと
も、実は、ちっともなおっていはしないのである。
ああ、何も一つも包みかくさず、はっきり書きたい。この山荘の安穏は、全部いつわりの、見せかけに過ぎないと、私はひそかに思う時さえあるのだ。これが私たち親子が神さまからいただいた短い休息の期間であったとしても、もうすでにこの平和には、何か不吉な、暗い影が忍び寄って来ているような気がしてならない。お母さまは、幸福をお装いになりながらも、日に日に衰え、そうして私の胸には
蝮まむし
が宿り、お母さまを犠牲にしてまで太り、自分でおさえてもおさえても太り、ああ、これがただ季節のせいだけのものであってくれたらよい、私にはこの頃、こんな生活が、とてもたまらなくなる事があるのだ。蛇の卵を焼くなどというはしたない事をしたのも、そのような私のいらいらした思いのあらわれの一つだったのに違いないのだ。そうしてただ、お母さまの悲しみを深くさせ、衰弱させるばかりなのだ。
恋、と書いたら、あと、書けなくなった。
二
蛇へび
の卵の事があってから、十日ほど経ち、不吉な事がつづいて起り、いよいよお母さまの悲しみを深くさせ、そのお命を薄くさせた。
私が、火事を起しかけたのだ。
私が火事を起す。私の
生涯しょうがい
にそんなおそろしい事があろうとは、幼い時から今まで、一度も夢にさえ考えた事が無かったのに。
お火を粗末にすれば火事が起る、というきわめて当然の事にも、気づかないほどの私はあの
所謂いわゆる
「おひめさま」だったのだろうか。
夜中にお手洗いに起きて、お玄関の
衝立ついたて
の
傍そば
まで行くと、お
風呂場ふろば
のほうが明るい。何気なく
覗のぞ
いてみると、お風呂場の
硝子戸ガラスど
が真赤で、パチパチという音が聞える。小走りに走って行ってお風呂場のくぐり戸をあけ、はだしで外に出てみたら、お風呂のかまどの傍に積み上げてあった
薪まき
の山が、すごい火勢で燃えている。
庭つづきの下の農家に飛んで行き、力一ぱいに戸を
叩たた
いて、
「中井さん! 起きて下さい、火事です!」
と叫んだ。
中井さんは、もう、寝ていらっしゃったらしかったが、
「はい、
直す
ぐ行きます」
と返事して、私が、おねがいします、早くおねがいします、と言っているうちに、
浴衣ゆかた
の寝巻のままでお家から飛び出て来られた。
二人で火の傍に
駈か
け戻り、バケツでお池の水を
汲く
んでかけていると、お座敷の廊下のほうから、お母さまの、ああっ、という叫びが聞えた。私はバケツを投げ捨て、お庭から廊下に上って、
「お母さま、心配しないで、大丈夫、休んでいらして」
と、倒れかかるお母さまを抱きとめ、お寝床に連れて行って寝かせ、また火のところに飛んでかえって、こんどはお風呂の水を汲んでは中井さんに手渡し、中井さんはそれを薪の山にかけたが火勢は強く、とてもそんな事では消えそうもなかった。
「火事だ。火事だ。お別荘が火事だ」
という声が下のほうから聞えて、たちまち四五人の村の人たちが、
垣根かきね
をこわして、飛び込んでいらした。そうして、垣根の下の、用水の水を、リレー式にバケツで運んで、二、三分のあいだに消しとめて下さった。もう少しで、お風呂場の屋根に燃え移ろうとするところであった。
よかった、と思ったとたんに、私はこの火事の原因に気づいてぎょっとした。本当に、私はその時はじめて、この火事騒ぎは、私が夕方、お風呂のかまどの燃え残りの薪を、かまどから引き出して消したつもりで、薪の山の傍に置いた事から起ったのだ、という事に気づいたのだ。そう気づいて、泣き出したくなって立ちつくしていたら、前のお家の西山さんのお嫁さんが垣根の外で、お風呂場が丸焼けだよ、かまどの火の不始末だよ、と
声高こわだか
に話すのが聞えた。
村長の藤田さん、二宮巡査、警防団長の大内さんなどが、やって来られて、藤田さんは、いつものお優しい笑顔で、
「おどろいたでしょう。どうしたのですか?」
とおたずねになる。
「私が、いけなかったのです。消したつもりの薪を、……」
と言いかけて、自分があんまりみじめで、涙がわいて出て、それっきりうつむいて黙った。警察に連れて行かれて、罪人になるのかも知れない、とそのとき思った。はだしで、お寝巻のままの、取乱した自分の姿が急にはずかしくなり、つくづく、落ちぶれたと思った。
「わかりました。お母さんは?」
と藤田さんは、いたわるような口調で、しずかにおっしゃる。
「お座敷にやすませておりますの。ひどくおどろいていらして、……」
「しかし、まあ」
とお若い二宮巡査も、
「家に火がつかなくて、よかった」
となぐさめるようにおっしゃる。
すると、そこへ下の農家の中井さんが、服装を改めて出直して来られて、
「なにね、薪がちょっと燃えただけなんです。ボヤ、とまでも行きません」
と息をはずませて言い、私のおろかな過失をかばって下さる。
「そうですか。よくわかりました」
と村長の藤田さんは二度も三度もうなずいて、それから二宮巡査と何か小声で相談をなさっていらしたが、
「では、帰りますから、どうぞ、お母さんによろしく」
とおっしゃって、そのまま、警防団長の大内さんやその他の方たちと一緒にお帰りになる。
二宮巡査だけ、お残りになって、そうして私のすぐ前まで歩み寄って来られて、呼吸だけのような低い声で、
「それではね、今夜の事は、べつに、とどけない事にしますから」
とおっしゃった。
二宮巡査がお帰りになったら、下の農家の中井さんが、
「二宮さんは、どう言われました?」
と、実に心配そうな、緊張のお声でたずねる。
「とどけないって、おっしゃいました」
と私が答えると、垣根のほうにまだ近所のお方がいらして、その私の返事を聞きとった様子で、そうか、よかった、よかった、と言いながら、ぞろぞろ引上げて行かれた。
中井さんも、おやすみなさい、を言ってお帰りになり、あとには私ひとり、ぼんやり焼けた薪の山の傍に立ち、涙ぐんで空を見上げたら、もうそれは夜明けちかい空の気配であった。
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